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九月住職法語

読み上げ

惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃
必至無量光明土 諸有衆生皆普化

秋の気配が漂ってきました。夏休みには多くの子供たちが夜空を見上げ、自由勉強で天体観測をし、天動説、地動説に関する知識を得たのではないでしょうか。毎年この頃になるともう少し宇宙のことを知りたいと思うのですが、私には小学校の時の知識しかありません。月は衛星で地球は惑星といいます。衛星は地球の周りをクルクル回っていて、太陽の周りをクルクル回っている地球や火星や土星が惑星です。満天の星の数はこんなもんじゃなく、太陽系のほかに銀河系とか、もっともっと無限に広い宇宙が広がっているのだそうです。どうして太陽の周りをクルクル回る私たち地球の仲間は“惑星”なのでしょう。“惑(まどう)星”?どうもこの仲間は地球から夜空を見ていると変な動きをするようです。運動会でみんなトラックを右回りに行進しているのに一人左向きに歩いていく子供みたいなものでしょうか。そんな惑星に住んでいるのだから仕方がないのかもしれませんが、近ごろの人類の道の迷いようは常軌を逸しているように感じます。

疑惑に染まった凡夫の姿を現代ほど自覚できる時代もそう多くないのではないでしょうか。人は道に迷わないように知識を増やし、情報をスピードアップし、判断を的確にくだせる技術を発達させてきました。一昔前とは比べ物にならないほど、スマホを持った私たちは何でも知り、賢くなったとおごりたかぶっています。

私が子供のころ、私たちを一生懸命育てようとしてくださった東光寺のご住職、東井義雄先生がこんな文章を残してくださっています。
(以下 「バカにはなるまい」 東井義雄)

中学生の生徒さんに、「馬鹿って、どんなんが馬鹿かと思うか。」と尋ねましたら、女の子が手を挙げました。その女の子は、「お勉強のできない人が馬鹿だと思います。」と、そんなふうに答えてくれました。「そんなふうに考える人?」と聞きましたら、皆手を挙げました。私はいいました。「そういう考え方もあるんだけどね、お勉強のできない人の中にも、賢い人がいるんだぞ。」といって、生まれつき頭の弱い、精薄の中学生の詩を聞いてもらいました。「私は一本のローソクです。もえつきてしまうまでに なにか一ついいことがしたい 人の心に よろこびの灯をともしてから死にたい」 この中学生は頑張っても頑張っても勉強はできないが、死ぬまでには、何か一ついいことをしたいと頑張っている。これが賢い生徒。ところが、少しばかり勉強ができても馬鹿がいる。兵庫県の姫路の中学三年生が、学校の帰り、とうせんぼうをした保育園の子供に腹をたて、刺し殺した事件が起きました。一度ひき返して家に帰って刃物をとってきてやっている。それだけの時間があるのに、なぜやめとけとブレーキがきかなんだのか。なぜやめとけとハンドルの切りかえができなんだのか。自分で自分を人殺しにした。これを馬鹿という。(以上抜粋)

五十年ぶりに私たち人類は、もう一度月に踏み出そうとしています。この技術が智慧の信心にもとづく、人の心によろこびの灯をともす、賢いものであってほしいと願います。

(文責 住職)

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