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五月住職法語

還来生死輪転家 決以疑情為所止
速入寂静無為楽 必以信心為能入

勝林寺では年頭にご門徒に向けて年回の案内を出しております。一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十五回忌・三十三回忌・五十回忌・百回忌を過去帳から繰り出し、お知らせしています。概ね各年回十件から二十件なのですが、数年前から百回忌だけが四十件・五十件と異常に多い数の繰り出しが出るのに、なんとなく違和感をもっておりました。原因は、二十世紀に入って最初のパンデミック“スペイン風邪”です。第一次世界大戦の影響もあるのでしょうが、一軒の家で小さな子供が何人もなくなっているのは、やはり疫病の流行だったのだと思います。百年前の六年間、通常の二倍三倍のご門徒が亡くなったのです。しかし、百回忌をお勤めされるおうちは少なく、というより、どこのおうちの方かわからずに寺に戻される事が多くなっています。百年も経てば人の記憶を継承するのは難しいようです。もちろん自分にも百年前の悲しく苦しく辛い疫病災禍の記憶がある訳はないのですが、曖昧なうろ覚えの記憶のように、情景があたかも見たかのように再来することがあります。「あれ、これ前にも見たような・・・」「既に見た」という“デジャブ”と呼ばれる経験です。自分の生きた時間の中での経験でないものまで経験されるのが宗教的デジャブです。ここ数年の世界の動きも、歴史の繰り返しとして、人類に記憶のめまいを起こさせているように感じます。

親鸞聖人が法然上人の存在を「還来生死輪転家」と示されるとき、二重の命の回転則のあることに気づかされます。一つ目の回転が“生死の輪転”一般的には輪廻転生、六道輪廻の中で、“曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して”出離の縁あることない凡夫の命の回転です。時に王の衣をまとって栄華に生きた命が、その後には草葉の陰で鳴く鈴虫となり、迷いの闇を巡っていく命です。その生死の迷いの回転から飛び出し、目覚めて真実の世界に生まれるのが往生浄土、すなわちお浄土へ生まれることです。しかし法然上人はその浄土から還来(めぐり帰り来る)されるのです。ぐるぐる回る生死輪転の世界に、ぐるぐる回ってお浄土から帰ってこられたわけです。目が回ってしまいそうですが、そうまでもして、法然上人は救いようのない私にお念仏を聞かせるために戻ってきていただいたのだと親鸞聖人は喜ばれたのです。

いろいろのものが回っています。地球が回り、太陽系が回り、銀河系が回り・・・時間も回り、記憶も回り、歴史も回っています。一人の命がその時だけのものだとは思えません。私が生きてきた六十数年の時間の中では経験したことのない疫病が流行しています。この疫病が肺炎を引き起こし、人の命を奪うことの恐ろしさもさることながら、人の精神を冒し、社会に瞋りと憎しみと悲しみを流行らせないことを願います。反対にこの世界的困難が、今まで人類の経験にない勇気と優しさと賢さを身につけさせてくれることを切に願います。

お念仏いたしましょう。 

(文責 住職)

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