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四月住職法語

本師源空明仏教     憐愍善悪凡夫人
真宗教証興片州     選択本願弘悪世

お正信偈を読み進み、七高僧も最後の法然上人(本師源空)のところまでやってきました。浄土真宗の開祖親鸞聖人は九才で得度出家され、比叡山で二十年間仏道修行を続けてこられましたが、どうしても“生死出ずべき道”は山にこもった修行の中には見いだせず、暗闇の中でさまよい続け、山での仏道に限界を強く強く感じておられました。そこに突然、これまで学び、修めた仏道とは全く違った新しい道を指し示し、一気に闇を開いて目覚めさせてくださったのが、法然上人でした。親鸞聖人はそれまで積み上げてきた仏道の歩みをすべてかなぐり捨て、二十九才までの命をいったん閉じて、法然上人の教えに学び、念仏一つの道を選び取って新しい命として人生を歩みだされたのです。親鸞にとってのクロスロード(人生の分かれ道)はこの法然上人との出会いのところにありました。十字路に立ち右に行くのか左に行くのか。多くの修行僧たちが比叡山で修業し、自身も二十年間歩んできた右の道を歩み続けるのか、法然上人が説かれる、今まで聞いたこともない念仏一つの左の道を進むのかという厳しい選択があったのです。この“選択”こそが、もともと法然上人の教学の中で最も要になる思想であり、上人の主著は「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」と名付けられています。

 法然上人は八万四千の法門といわれるお釈迦様の教えの中から、選択を重ね、選び抜いて専修念仏にたどり着かれました。お釈迦様の説かれた多くの言葉、多くの実践を学ぶ中で、“あれもこれも”と選び取るのではなく、“あれかこれか”と厳しく選び棄てていく中で、最後に五濁悪世、煩悩具足の凡夫の仏道として、専修念仏・お念仏一つの道を選び取られたのです。この厳しい選び棄て、そして選び取られた法然上人の洗練された教えを、親鸞聖人もただただ選び取られていったのです。

 “選び”ということは一人一人の人生にとって、どのような時代の中でも大切なことです。近年豊かな物と豊かな情報の中で、欲しい物、欲しい情報をつぎつぎに選び取っていくことがますます可能になり、そのことが社会の豊かさのバロメーターになっているようです。人間の欲することはあらゆることが人間の力で可能となる、人間中心主義が当然のこととして定着しています。しかし今、地震、津波、豪雨そして新型コロナウイルスという脅威にさらされる中で、人の知恵で作り上げたビルも堤防も健康も、良いものをいくらでも選び取って積み上げてみても、所詮「砂上の楼閣」にすぎないものであることに気づきかけているようです。

 半年もすれば人類は新しいワクチンを開発し、科学の勝利を宣言できるかもしれません。しかしそれでも私自身の老いと死は、決して遠のくものではありません。欲に任せ、あれもこれもと選び取ろうとする人生を転換し、念仏一つを選び取り「心を弘誓の仏地に樹てる(たてる)」浄土真宗のみ教えが、今あらためて現代社会の中で必要となってきています。

(文責 住職)

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