九月どすん

以前勤務していた職場の後輩が病に倒れたと聞き、心がざわつきました。幸い、すでに退院して自宅療養をしていることが分かったので、今が旬の大好きな「豊岡ぶどう」をお見舞いに送りました。早速、お礼の電話がかかり、いつもと変わらない元気な声を聞くことができ、ほっと胸をなでおろしました。さらに、数日後には、仕事帰りに家に寄ってくれましたので、少し動きにくいと言っていた腕もよく上がるし、少し出かけていたお腹は加減よく引っ込んだし、「よかったなー」と共に喜びました。しかし、じっくりと話を聞くと、彼の命はまさに死の一歩手前であったといいます。彼を襲った病は、三分の一が命を落とし、三分の一が後遺症で社会復帰ができず、三分の一が元の暮らしに戻れるといわれているものでした。現に、彼の奥様は、意識のない彼の傍らで、医師からそのことを告げられ、悪い想像しかできず悲嘆にくれられたそうです。しかし、数えきれないほどの幸運が重なり、彼は元の暮らしに戻り職場にも復帰できました。その彼が、繰り返し私に言うのです。「西池先生(今でもこう呼びます)、僕はあの瞬間死んでいたかもしれない、死はとてもあっけなく訪れるものでした」と。お説教の中でも常々聞かせていただきます「死は、生の反対側にあるのではなく、隣り合わせにあるのだ」と。彼は、病によってとても苦しい思いをしたことでしょう。しかし、それを通して「生死は別物ではなく一つであること」「いのちははかなくだから尊いものであること」を理解しました。話す彼の中に「強さとひかり」を見た気がしました。 (文責 坊守)

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