二月どすん

読み上げ

私が最後に担任していた一年生が、成人式を迎えました。「クラス会をするから来てください」と声をかけてもらったので、当時の先生方と一緒に参加しました。会場で待っていてくれたのは、私が共に過ごした子どもたちとは、見違えるように大きくなり、美しくなり、頼もしくなった若者たちでした。「見て見て」と連続逆上がりを何回もして見せてくれた得意げな顔、喧嘩して「ごめんなさい」が言えなくて目にいっぱい涙をためた顔、給食に出たおかずが食べられなくて困った顔、そんな顔はどこにもなくて、どの顔も充実感にあふれていました。私の知らない間に子どもたちは多くの人に出会い、たくさんの経験を積み、素敵に成長していました。「よかった」と思いながらも、私にできる精一杯の日々を彼らと積み重ねたので、知らない間の成長がちょっと寂しい気もしました。(心が狭いですね(笑))

寺とご門徒さんの関係は、担任と子どもたちの関係と似ているところがあるような気がします。選んだわけではなくご縁でつながった関係であり、「お念仏」の先生と生徒の関係でもあり、家族ではないけれど、時には家族以上に深く知り合っている関係ですから。でも、大きく違うところがあります。担任は、どんなに懸命に関わっても一年もしくは二年で代わりますが、寺とご門徒の関係は、死ぬまで続きます。いえいえ死んでからも同じお浄土に生まれてずっと続きます。(あーよかった)と思ってくださったかな(えーそんなに続くのー)とため息をつかれたかもーかなり不安です(笑)。でも、私は、ご門徒の皆さんとのご縁をいただき「知らない間」がなく、ずっとつながっていられることに大きな安心感と喜びを日々感じています。勝林寺の坊守でよかったと思っています。

(文責 坊守)

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