十二月どすん

読み上げ

 報恩講のお手伝いに帰っていた次男の入海(いるみ)を、駅に送る車中、住職が「入海は、どっちを食べたん」と尋ねます。私はそれが、数日前親戚のお家で出された近江牛のステーキ弁当と琵琶湖の鰻弁当のことだとピンときましたので、彼の返事を待たず「お肉」と答えました。住職は「へー、美味しかったか」と続けます。入海はそれに答えず、後部座席で笑っています。笑いながら「僕は、父さんが僕に何のことを尋ねているかもわからんかったのに・・・」―きょとんとする住職に、笑いの訳を説明しました。実は、二日前にも同じようなことがあったんです。叔父の二七回忌法要に三人でお参りして出石に帰る途中、大きなパーキングに入りました。土曜日でもあり、コロナも少し落ち着いているせいでしょう、たくさんの人で込み合っていました。あっという間に互いの姿を見失いました。入海はレジのそばで私を待っていましたが、住職の姿が見えません。でも私は、入海をその場に待たせて、住職を見つけてすぐに戻りました。すると「よう父さんの居るところが分かるなあ」と入海が感心します。私は「長年の感」と答えて笑ったのです。それから二日後、「どっちを食べたん」という住職の唐突な質問に、何の迷いもなく的確に答えた私に、半ば呆れて「やっぱり母さんすごいな」と笑ったのです。体も知識も心の広さも、何を取っても多分もう子供たちにかなうものはありません。だから、こんなつまらないことでも「母さんすごいな」と言ってもらえてよかったなとその時は思いました(笑)。ただし、これを書きながら、私は、自分自身の悪いところを思い知らされました。父親と息子ののんびりした会話に「横入り」して水を差し、しかも「私には分かるで」といわんばかりの得意顔で息子に代わって答える姿は、決してほめられたものではありません。それどころか、だめな母さんやと反省しました。 (文責 坊守)

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