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どすん 2025-06

私は出石町の隣にある但東町で生まれ育ちました。その中でも「さらに奥」とよく言われますが、それは出石側からの見方であり、実際には、京都府側の玄関口にあたります。日本全土の地図に表されたら、京都府と兵庫県の境界線に私の生家は埋もれてしまうと思います(笑)家から見える景色の中に家は一軒のみで、しかも百メートルは離れています。小学校までは、そこ以外の土地をほぼ知りませんでしたから、そこでの暮らしが普通で、不便とか不自由など感じたことはなかった気がします。中学校には自転車で通いました。そこで初めて、歩いて通える友達をうらやましいと思いました。さらに、高校までは約五十分のバス通学となり、バス停周辺にいろいろなお店のある出石の町に住む友達がうらやましくなりました。大学に進み、初めて生まれた家を離れて神戸で暮らしました。暮らしは大きく変わりましたが、便利な暮らしにはすぐに慣れました。今、縁あって出石の町で暮らし始めておおかた四十年が経ちます。私にとって出石は「ちょうどよい」便利さとにぎやかさと静けさを感じるとても居心地の良い場所です。ここが「私の居場所」です。ところが、先日不思議な思いをいだきました。先月号でお知らせした結婚式の翌日、私の父や母にも息子のお嫁さんを見せたくて、家族で父母の法事を勤めました。法要の後、いつものように地区の皆さんも眠るお墓にお参りしました。今まで何度も訪れてきましたが、初めてそこに向いのおばちゃんやおじちゃん、隣のおじちゃんおばちゃん、みんなが変わらずいてくれる安らかさを感じました。暮らすには不便でしたが、そんなことに意味はなく、その土地に住んだ人で培ってきた空気感と安心感がありました。ここも「私の居場所」です。

(文責 坊守)