二月に入り、ようやく雪を見ることができました。もう何十回も見ているのに、うれしくて久しぶりの雪景色を写真に収めてしまいました。何十回も経験してきたのに、誰も踏んでいない降りたての雪の上に、自分の足跡をつけるのが楽しくて、いつもと違うところを歩いてみました。そんな「いい気持ち」を味わった朝の散歩から帰ってくると、すっぽり雪に覆われた若院の車が目に留まりました。いつもなら通り過ぎる私の心に「雪を落としておいてやろうかな」といつになく優しい気持ちが芽生えました。「いい気持ち」のもたらす効果ってすごいですね(笑)雪を落としていたのは、せいぜい五分くらいの時間だったと思うのですが、その間に、思いがけず三十七年分のタイムスリップを経験しました。
私が生まれた但東町は出石のお隣で、遠くても距離にして二十㎞くらいしか離れていません。しかし、標高が少しずつ高くなるため、出石から離れる毎に雪の量が増えます。私が生まれたのはその中でも有数の豪雪地帯です。出石の町に二十㎝の雪が降れば、その倍以上の積雪がありました。雪の積もった朝、まだ暗いうちに走る除雪車の音で目が覚めます。「あーたくさん積もったんだ」と分かります。それが行き過ぎると、次にスコップで除雪する音が布団の中にいる私の耳に届きます。父かまたは母が、雪の降る中、出勤する私の車がすぐに出られるように、車庫の前に積み上がった雪をあけてくれるのです。雪が降るといつもそうでした。若院の車の雪を落としながら、三十七年前に聞いた雪の朝のスコップの音が聞こえました。ほしいものすべてを与えてくれる豊かさはありませんでした。大きな心に包まれている実感もありませんでした。でも「大切にされている」その実感は、確かに今もちゃんとありました。
(文責 坊守)