少し前に目にした神戸新聞の「正平調」の文章が心に残りました。歌人俵万智さんの歌に≪優しさにひとつ気がつく ×でなく〇で必ず終わる日本語≫というのがあるそうです。日本語では、文章の最後に必ず句点「。」(まる)を付けます。その何気ない、当たり前すぎて何の思いも抱かないことに、日本語の美を見出した歌人の眼力をまずほめていました。「なるほど、ほんとうに・・」その部分に心がほわっと温かくなりました。が、これは序章で、文章はさらに〇で終わるスポーツもあると続くのです。いったい何だろうと読み進めていくと、フィギアスケ―トのことでした。氷上をダイナミックに滑りながら華麗なジャンプやスピンを繰り広げるスポーツです。文章を少し引用します。(曲に合わせてリンクに大きな円弧を描いていく。それはまるで今季限りで引退を表明している自らの競技人生に何重もの「〇」を重ねるかのような美しい軌道だった)と。フィギアスケートの競技を引退する一人の選手への賛辞へとつながっていきました。スケーターが氷上に描く軌道を〇ととらえ、それをその人自身が自分に贈る何重もの〇と表現し、多くの苦難を乗り越えて今日を迎えた、彼女の競技生活を讃えました。読み進めるうちに胸が熱くなり、読み終わったときには涙が出ました。何より、このように表現された選手にとって、最後にして最高のご褒美だったことでしょう。この記事は、ある一人のスケーターを讃えたものでしたが、これを読んだあと、小さな「〇」、たった一つの「〇」、自分への「〇」、重なり合う「〇」の優しさに気づかせてもらえました。誰かと比べてつけるのではなく、そのままの、今日の自分に「〇」、今日のあなたに「〇」、今の自分に「〇」、今のあなたに「〇」。阿弥陀さまの「すべてを救う」の意味もたぶんこれですね。(まる)
(文責 坊守)
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