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五月住職法語

広由本願力廻向  為度群生彰一心
帰入功徳大宝海  必獲入大会衆数

五月は一年の中で一番過ごしやすい季節のように感じます。暑くもなく寒くもなく、花粉の飛散も治まって、若葉を揺らす風が爽やかです。「目に青葉山ほととぎす初鰹」、タケノコ、コゴミ、ウド、鬼ゼンマイとあちこちからいただき、自然の恵みを有り難く味わっています。

お念仏の中で出会わせていただく阿弥陀様のご本願は、広く際限なく、ゼンマイやコゴミを育てる野原をつつみ、野をこえ山を越えて五月の風のように自由に大空を飛び越えて私のところに届けられます。広大無辺で果てしなく、無限にあらゆる命に届けられる願いです。ところが私たち人間は、土地に線を引き、野に柵を立て囲い込み、国境に高い壁を作って奪い合い、ついには宇宙にまで手を伸ばして支配しようとしています。そして、あらゆる空間は人間が手を伸ばした瞬間に狭苦しいものになり、隣と隣の狭苦しさが、ヒガみとネタみと憎しみにかわって、争いあい、殺しあってしまうのです。分け隔てることは自力の業ではあるけれど、その欲に身をゆだねれば業の猛火に我が身を焼き尽くされてしまう地獄に堕ちるしかないことの恐ろしさ、苦しさを今の社会は学ぼうとしなくなったようです。こんな世の中でもただお念仏を称えることで、“たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて”、広大無辺ののびのびとした世界の中に解き放たれ、大きく息をすることができるというのに・・。

この阿弥陀様の広い心を受け取るのは偏狭矮小な私の心です。ケシの実よりも小さな一粒の私の命が一心に仏様の無量の寿(いのち)を受け取っていくところに、親鸞聖人が示された念仏者の生き様が開けてきます。“一心”とは何かということはいろいろと議論され、研究されてきています。浄土真宗の一番大事な経典である「仏説大無量寿経」の中に阿弥陀様の四八願が書かれています。その中でも第十八番目の願いを“本願”といって、“私たちがお念仏によってお浄土に往生し、仏となることができる”教えの根本となっています。この第十八願の中では至心・信楽・欲生我国という三つの心(三心)がしめされています。しかし、今回のお正信偈に出てくる七高僧の天親菩薩は、『浄土論』の初めに「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」と言われています。本願(第十八願)の三心と天親菩薩の言われる一心の関係を解釈し、議論することが浄土真宗の教学の中でもとても大切なポイントになっています。何より、親鸞聖人がその主著である『教行信証』信巻の中でこの本願の「三心」と天親菩薩のいわれた「一心」とを対照して問答を設け、三心についてくわしく解釈されています。私も大学は龍谷大学真宗学専攻でしたもので、この“三一問答”にはずいぶん悩まされました。
それはさておき、相対立する二つの事柄、広さと狭さ、無限と有限、仏と私、浄土と娑婆という矛盾する二つの事柄が、お念仏の中で一つに味わえることが、浄土真宗のみ教えに出会い、学び、生きる姿なのです。ロシアを一方的に非難し、ウクライナを一方的に支援する言動が、憲法九条をなし崩しにし、核配置を容認する国家の策略に加担していることを、本願寺教団もお念仏の中で早く気づいていただきたいものです。

(文責 住職)