六月住職法語

読み上げ

得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
遊煩悩林現神通 入生死薗示応化

今年も裏山にある小さな池の周りにモリアオガエルが卵を産み、もうオタマジャクシが池を泳ぐようになりました。

この寺報は前住が一九八一年(昭和五十六年)に発行をはじめ、今も勝林寺のご門徒さんだけでなく多くの皆さんに読んでいただいています。(勝林寺ホームページにはこれまで四十一年間の寺報をすべて見ることのできるコーナーがあります。また覗いてみてください。)そんな読者の中に、私の中学と高校の時の国語の先生がいらっしゃいます。大体どんな勉強もあまりできたほうではないのですが、特に国語は小中高と一貫して大の苦手科目で、この寺報の読みづらさも、きっと私の少年時代の国語の勉強不足がたたっているのだと思います。その一人の先生から先日お便りをいただきました。寺報の内容を上手にほめいただきながら、前回寺報の冒頭の言葉について、解説していただきました。

以下(抜粋)

山口素堂の句、正確には

「目には青葉山ほととぎす初鰹」です。五七五の句ではなく、六七五の句、つまり字余り句として詠んだものです。この句の素晴らしさは「は」にあります。「は」は上の「目」を取り立てて強調する働きを示す助詞です。「目に」を強調することで、中と下の句は、「目」ではないことを推察させる効果を思わせる働きです。「目には」で「視覚」を感じさせ、そのことで、中の句では、耳で聴く季節の到来、「聴覚」。下の句では舌で味わう旬の鰹の美味しい時節になった「味覚」を推察させるように詠みました。

以上

なるほど・・。日本文学の味わい深さを四五年ぶりに教えていただきました。

さて、この時期になると勝林寺の境内もいろんな花が咲きます。その時々にいろんな人にお世話をしていただき、観光の方にも楽しんでいただける庭になっていると思います。今は“ヤマボウシ”の白い花が目立つのですが、その下に小さな石の手水鉢があります。この中には三十年ほど前に亀井総代さんが田んぼの土と一緒に持ってきて植えられた“スイレン”の花が絶えることなく毎年一輪咲きます。今年もつぼみが一つあがってきていて、もうすぐ咲きそうです。どの花が一番だなんて、比べるつもりはないのですが、やはり蓮の華は仏様の華として、今年も出会えるのが楽しみです。

「蓮華蔵世界」はお浄土の世界です。お念仏によってスイレンのように清らかで、よどみなく、こだわりから解き放たれた世界に至ることを得た喜びが私たち念仏者の信心です。五濁の極みのような世界の現実がますます深刻化しています。利己主義、拝金主義への反省は忘れ去られ、我をはり、欲ばり、争いあってやまない阿修羅世界が地球全体を覆っているようです。これほど現実が疑わしく、信じられるものの何もない不安な世界に、仏様の心のように清らかなスイレンの花がもうすぐ勝林寺の手水鉢に咲きます。また見に来てください。(文責 住職)

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