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十一月住職法語

弥陀仏本願念仏  邪見憍慢悪衆生
信楽受持甚以難  難中之難無過斯

ここ半月ほど、市議会議員選・衆議院選が連続してあり、とてもにぎやかでした。いろいろな情報が飛び交い、街頭演説も騒がしかったですが、それ以上にTV・インターネット・SNSと、目から耳から大量の情報が押し寄せ、近年災害で苦しむ方々の多い中では不適切な表現かもしれませんが、情報の嵐、情報の洪水、情報の津波に飲み込まれほん弄されているような感じでした。この莫大な情報を動かすエネルギーのほとんどは電力に依存しています。エネルギー枯渇の危機感がじわじわと迫ってきているようですが、代替えエネルギー開発に躍起になるよりも、電力エネルギーに依存しないで生きる人間の自立的な生活力の育成に目を向け、誰もが平等で平和なお浄土に向かう方向に舵を切らなければならないのではないでしょうか。

阿弥陀様は私たちすべての命が、喜んで我が国(阿弥陀様の国=お浄土)に生まれたいと欲することを本当に願われました。そしてそれはお念仏一つを称えて人生を歩むことで可能となっていくことを親鸞聖人は示されました。ところが近年ますますこの阿弥陀様のご本願を信じ喜びながら念仏に生きることが困難になっています。

情報は多ければ多いほど人は見識を高め、正しい判断、正しい道の歩みを助けてくれるものだと一般的には信じられています。そして、人類の科学技術の進歩は、情報量の拡大と伝達スピードの高速化によって、地球の裏側の出来事も瞬時に隣の街の出来事のように知ることを可能としています。しかし、多く情報を知れば知るほど、何が本当で何がウソなのか、どれが正しくてどれがダマシなのか見えなくなり、情報に取り残されていることへの不安、だまされていることへの不信、ソンしたことへの不満が募っていきます。その結果、情報戦は架空の世界での出来事で終わらず、人と人が血で血を洗い、社会と社会がぶつかり合い、国と国がつぶし合う戦争の火種となっているようです。情報は“邪(よこしま)”なもの。自らの持つ情報がよこしまな見識であることを自覚できないと、人はおごり高ぶって人を見下し、自らの計算で物事を進め、道を外れた悪の存在となります。このおごり高ぶる心の中には、他に対する疑いと憎しみ、不満と不安、怒りと敵意があるばかりで、“信楽”の心を起こすことは甚だもって難し、ということです。 今私たちの手のひらからスマホを手放すのは“難中之難無過斯”(難の中の難、斯に過ぎたるは無し)とは思います。しかし、今まさに報恩講のシーズンとなり、この困難な時代に信楽の心を伝え、八〇〇年前に浄土真宗のみ教えを開示していただいた親鸞聖人へのご恩を、身を粉にしても報じなければならない時なのだと思います。

いろいろな政見放送が聞こえてくる中、私が演説するならば、“一八歳未満スマホ禁止法”成立させます!!と言ってみたいと思います。きっと落選するでしょうけどね。(文責 住職)