十二月住職法語

読み上げ

印度西天之論家   中夏日域之高僧
顕大聖興世正意   明如来本誓応機

十一月は下旬に入り、大忙しでした。前坊守(瞭子)の弟で、草津の順光寺に入寺していた私の叔父、八朗おじさんの二十七回忌法要があって滋賀県まで行ってきました。もう少しになってしまった叔父さん叔母さんや、いとこたちの元気な顔を見ることができ、楽しい一日でした。帰った翌日、今度は前住の従弟西山真澄さんの十七回忌法要を息子さんたちと勝林寺でお勤めました。私の曽祖父で今の勝林寺の本堂を明治四十年に建立した第十六世住職釈可生の末裔たちの集合でした。そしてその日の夜から勝林寺の報恩講が始まり、夕方六時から御伝鈔(ごでんしょう)拝読する冒頭で、“聖人の俗姓(ぞくしょう)は、藤原氏(うじ)”がら“有範(ありのり)の子(こ)なり”に至るまでの、とても長くて読みにくい、どうでもよいじゃないかと思える親鸞聖人のルーツに、読む意味を重く感じながら、勝林寺報恩講二日間を無事お勤めすることができました。

この御伝鈔はもちろん親鸞聖人が書かれたものではなく、聖人の曾孫にあたる本願寺第三代覚如上人が、三十三回忌の翌年、二十六歳の時に著されたものです。年忌の法事というものをお勤めする中で、いつの世でも前の代とのつながりが記憶の中から薄らいでいくことに不安をおぼえ、その時に集う有縁の人々の記憶の断片をつないでルーツを確認し、今の自分が歴史の中に存在するものであることを再認識するのです。

身近な血縁関係の中で自分を確認することも大切ですが、正信偈の中で親鸞聖人が示されたのは、広大無辺の法縁関係の中で見いだされる自分の存在です。インドで説かれた仏教は、やがて中国へ伝えられ、朝鮮半島を経て日本へ伝えられました。「印度西天」とはインドのこと、「論家」とは、龍樹菩薩と天親菩薩のお二人です。中国の方は、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師です。日本の方は、源信僧都、法然上人です。これらの五人の方を「中夏・日域の高僧」と言われています。ですから「印度西天の論家、中夏・日域の高僧」とは、七高僧のことです。数多く説かれた釈尊の教えの中から、本当に話したかったお釈迦様の本意を受け取り、つなぎにつないで私のところに流れ着いたお念仏は、無数の精子と無数の卵子と無数の愛の中から今存在している我が命と同じく有難いものなのです。だからこそ、報恩講のお勤めの締めくくりは“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし”と、恩徳讃を歌わせていただくのです。

コロナの影響で少し縮小版となった寺の報恩講を無事勤め、ひと段落ののち、数年前から千葉医師が呼びかけられて動いている「但馬を結んで育つ会(TMS)」の一員として、但馬より先行して地域医療構想の実現を図り、医療、介護、福祉等の切れ目のないサービスを、将来にわたって安定的に提供することを目指している「日本海ヘルスケアネット」の視察研修会に山形まで出かけてきました。

ハードな十一月下旬でしたが、これから皆さんのおうちの報恩講に向かいます。

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