釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
新年明けましておめでとうございます。
一年一年が過ぎていく中で、年の初めには今年は何の年だろうか?と、思い返します。母が死んで何年目だろうか?父が死んで何年になるのだろうか・・。あの人がいなくなって何年たつのだろうか。別れた人が年々増えていくと同時に、時の流れの長短が、記憶力の老化も手伝って曖昧になってきているようです。自分の小さな命の中で繰り返した一年一年は六〇回ほどのものですが、今ここに至るまでの大きな歴史のことも、お正月にはいろいろ考えたりします。来年は親鸞聖人が生まれられて八百五十年。去年は聖徳太子が亡くなられて千四百年。百年前には関東大震災があって、勝林寺の百回忌にも四人の方が入っている。いろんなことを正確に覚えておこうと、文字に書いたり写真に撮ったり、いろいろ努力しますが、自分自身の足元がスッと忘れ去られていくようです。
お釈迦様が教えを説かれたのは二千五百年も前のことですが、インドの楞伽山(りょうがせん)という山で説法をしておられた時、そこに話を聞きに来ていた人々に予言されたということです。その内容が、「南天竺に龍樹大士、世に出でて、悉く能く有無の見を摧破し」ということです。「私(釈迦)がこの世を去った後、七百年後に南インドに龍樹という勝れた人が現れるだろう」とおっしゃったのです。そして、七百年後南インドに龍樹菩薩というすぐれた人が予言通りに現れたのです。親鸞聖人にとってもこの龍樹菩薩は七高僧の頭ですが、この方は「八宗の祖師」といわれ、仏教にたくさんの宗派はあるなかで、すべての宗派の祖師と言われるほどの方です。どちらにしても、千年も二千年も前の人なので、時と理屈を超えた影響力を後の仏教者に及ぼしています。それは偉大な賢者の話ばかりでなく、その逸話には悲しい失敗談もあります。若いころ龍樹は透明人間の術を身につけ、友だちと女あさりを始めたのだそうです。そして、夜な夜な宮中へ忍び込んで、王様の女とたわむれる毎日でした。ところが王様が気づき、カンカンになって「今晩その者たちが来たら、その場で首をはねよ。殺してしまえ」と警備の者たちに命じました。すると今晩も、龍樹たちは女あさりにやってきました。王が号令をかけると、飛び出してきた群臣の刃に、友人たちは目の前で殺されていきます。ところが利口な龍樹だけは、王様の後ろへぴったりはりついて隠れ、命からがら家に帰ってくることができました。そんな「八宗の祖師」、「七高僧の頭」の龍樹の若き日の逸話は、偉大な龍樹の仏教思想と関係しているのか、していないのかわかりませんが、龍樹菩薩も毎年お正月のたびに死んでいった友を思い出しながら、あれは何年前のことだったのか記憶を探り、仏教思想を深めていったのではないかと思えるのです。
来年は前住の七回忌、前坊守の三十三回忌が一緒に来ます。
(文責 住職)