行者正受金剛心 慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽
明けましておめでとうございます。
昨年は誰でも個人的には良いこと悪いこと色々あったにしろ、人間社会として全世界的に決して良い年ではなかったように思います。それだけに今年一年は、人類がもう一度知恵を絞って、良い方に向く一年になるよう努力する一年にしていきたいと思うのです。
「行こう、行こう、彼岸に行こう、彼岸に到達した者こそ、仏の悟りそのものである」というのは、かの有名な『般若心経』の「羯諦羯諦波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか)」の訳です。浄土真宗の門徒は唱えることがないのですが、私たちにも、力強く彼岸を目指して行くことを勧めるこの真言は、尊い言葉として聞こえてきます。最近は“Go To Travel”ばかりが耳に入ってきますが、しっかりと“Go To Jyodo”を 意識しなければならないと思います。そして念仏の行者は「金剛心」すなわち“金剛石(ダイヤモンド)のような心”を授かるといわれています。硬く、傷がつかず、ハガネのように壊れない、まっすぐな心。これが他力の信心なのだと親鸞聖人はうたわれています。またそれは、同じく“菩提心”であるとも言われています。菩提心とは、自分のみならず、他者をも一人のこらず、安楽なる涅槃の領域へ導かんとする、仏道を歩む者に必須の志なのです。
この強い平和への意志をもって歩む念仏者ですが、その心の性質、態度は硬いばかりではなく、“柔軟”であるとも示されています。『大無量寿経』三十三願「触光柔軟の願」には、わたしたちが弥陀の光明に触れると、柔軟な身と心をたまわると誓われています。自分の一方的な正義や善、自由や平等を標榜し民主主義を主張し、個性を尊重し、人間性を大事にしているという頑な態度が戦争を助長し、殺戮を正当化していることに気付かなければなりません。一七世紀フランスの思想家パスカルが「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と言っています。河原に生える葦は、風が吹けばゆらゆらと揺らめき、すぐにでも倒れてしまいそうな弱い植物です。しかし、大雨が降って洪水になった時にも、流されないでしっかりと立ち上がります。この柔らかな強さを人間はしっかりと“考える”ことで得ることができるのです。
近年社会のリーダーたちは、考えることをあきらめ、未来への責任を放棄しているように見えます。日本は戦争を永久に放棄し戦力を保持しないと定めた憲法第九条あってこその国家です。一気にエスカレートする軍備拡大は、日本の国を滅亡に導くものです。
今年は親鸞聖人御誕生は八百五十年・立教開宗八百年の年。相手と敵対し威嚇し、核の脅威におびえながらではお祝いできません。まずは憲法第九条をしっかりと守り、お浄土への道をみんなでゴー!ゴー!!と歩んで往く一年といたしましょう。
(文責 住職)