宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
年明けからまたオミクロン株が急拡大し、なかなか普通の活動ができない日々が続いています。先日今年初めの「みのりを聞く会」に出席されていた高齢のご門徒さんが、「もうすぐワシも前住さんに会えるかな?会ったらアンタの往った後でコロナちゅうもんが流行って娑婆は大変やったんやでって教えてやろ」と話されていました。前住職の生きた時代も、戦争があったり高度成長があったりと急激な社会変化がありましたが、今は、さらにもっと大きな時代の分水嶺に立っているのかもしれません。
お釈迦様が悪魔の誘惑を振り切って悟りを開かれ、めんどうくさいこの娑婆世界に教えを投げ出されてから二千五百年余り、仏教はいろいろな分岐点を通って枝分かれし、現在に至っています。その最初の大きな分かれ目が釈尊入滅後二百年ほどたって訪れた「大乗仏教」と「小乗仏教」との分流です。このターニングポイントで、ガチャンと分岐器を引き下ろしたのが七高僧の第一祖「龍樹」なのだと親鸞聖人は見ています。龍樹大士が出てきて大乗無上の法を宣説されたのです。
「大乗」と「小乗」は、大海を渡る船のことを表します。「大海」というのは私たちの人生で、「生死の苦海」とも言われます。この苦海の荒波を乗り越えて、向こう岸にわたっていく教えが仏教です。その時、大きな船に乗って渡る方法と、小さな船で渡っていこうとする方法(こちらは陸の道を一人で歩いていく道にたとえられています。)があるということです。そう聞けば誰でも、大きな船に乗って気楽にいく方が良いに決まっている、と思うのですが、譬えは喩としてわかっていても、いざ自分の人生の歩みなるとそうはいかないのが凡夫の性分です。ましてや、近年仏法に触れることができにくい家族環境の中では、小船優先の社会が出来上がっています。
子供たちは社会の中で競争に勝つことを教えられ、要領よく、無駄なく、得する方法を学びます。兎にも角にも勝った者勝ちの社会の姿を家庭の中のお父さんとお母さんの会話の中で聞き続け、テレビのドラマで見続け、裏の裏をかいた刺激的なゲームで誰にも騙されず、何も信じず、自分の力で歩む力を身につけていきます。そのような自力作善の生き方が今の社会の主流となっています。そして小船の能力はますます向上し、進むスピードは極超音速まで引き出し、地球の裏側まで監視する情報処理能力をもってブレーキがかかりません。ブレーキのかからない小船はテトラポットに激突して炎上するしかないように思えてきます。
親鸞聖人は「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と表明されました。龍樹が示した「大乗」は「小乗」とは別の生き方です。いまこそ浄土真宗の門徒は、疑い、争い、憎しみを超えた他力信心「大乗」の流れを社会に示し、人類の危機にある今こそ、この大乗の流れを社会が選択するよう一生懸命お念仏に励まなければなりません。
(文責 住職)