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八月住職法語

智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし  真実明に帰命せよ

車を乗り換えました。二十万キロを超えて走り、十三年間乗った車ですが、あまり長く乗っていたような気もせず、つい最近まで新車だったように思えます。新しい車は電気自動車でも、ハイブリッドでもないオーソドックスなものなのですが、車線をはみ出すとピピッと教えてくれたり、アクセルを踏まなくても前の車の速度に合わせて走ったり、やはり時代は進歩しています。それと、大きく変わっているのがライトだと感じました。すべてがLEDの光源になっています。家の中の電灯も、ほとんどこの十年余りでLEDに替わりましたし、街灯もLEDに替えられました。光の源は十三年で急速に変化していました。私たちの生活の中で(人生の中で)光の役割は大変大きく、夜の暗闇の中を走る車のライトの役割は重要です。ご承知のとおりライトには二段の切り替えがあります。下目(ダウン)と上目(アップ)です。幅広く回りを照らすことと、遠くまで照らすこと。この二つの性能が良いほど、見えやすく、夜でも安全に運転できます。

冒頭の和讃で親鸞聖人は光について“智慧の光明”と表現されています。それは私たちの仏様である阿弥陀如来の働き(存在)そのものなのです。夜道の暗さは高性能LEDの光によって幅広く、遠くまで照らすことによって道に迷うことなく、安心して目的地に走っていけます。同じように私たちは人生の道をひた走っていくのですが、それは無明の闇の中であり、人の目から出る弱い光では前も後ろも見通せません。同じ時代、同じ時間に生きるこの世界の出来事、同じ今の地球に暮らす人々の痛みや悲しみも見えず、人の知恵の光では右も左も、一寸先の未来も暗闇の中で見通しがつきません。迷いに迷って、恐怖と裏切りの中で疑心暗鬼になり、不安の中をさまよって、不信と不満で傷つけ合い、争い、短い人生の道をまっすぐに歩んでいくことができません。その無明の闇を破り目的地に向けて道を歩ませてくれるのが“智慧の光明”、阿弥陀様の不可思議の光なのです。

株相場の意味は分かりませんが、その筋に明るい人は社会を見渡し、これから何が売れるのか先を見て儲けます。将棋は角が斜めに進み、飛車が横に進むことくらいしかわかりませんが、十七歳十一ヵ月での最年少タイトル獲得して三十年年ぶりに記録更新した藤井聡太さんは何手もの先を見通す知恵をもって相手に勝利します。私にはその力はありませんが、念仏の智慧によってお浄土への道を幅広く照らされ、何事にも妨げられることなく遠くまで照らす真実の光明をもって、人生を安心して歩んでいけるのです。お仏壇の灯明は菜種油の灯から豆電球に変わり、今は揺らめくLEDの光に変わっています。しかし、毎日お仏壇に手を合わせお念仏する中に、いつも変わりなく私を照らす真実の光明が見え、その光をよりどころとして世間の雑多な光に惑わされず、浄土への道をひたすらに歩む智慧の信心が恵まれるのです。

(文責 住職)