清浄光明ならびなし 遇斯光のゆゑなれば
一切の業繋ものぞこりぬ畢竟依を帰命せよ
秋が深まり、霧が里をつつみこみ、朝夕肌寒い季節になってきました。濃いキリに閉ざされた遅れた朝に差し込む陽光は、一切の塵を霧の中に振り落としクリーンであり、天高く広がる秋空は青く、野も山も澄み渡り、素敵な秋の日となって広がります。阿弥陀様の光はこんな“清浄光明”で、私たちの心のキリを晴らしてくれるのだろうと思います。
毎月お正信偈を四行ずつ進み、それにまつわるお話をしてまいりました。そのあと、正信偈おの後に唱和する六首の「和讃」を一首ずつ頭に置いてお話を続け、今回で五首目となりました。
「和讃」というのはお正信偈のように漢文で書かれたものではなく、“和語をもって讃嘆する詩”という意味だそうです。親鸞聖人が撰述された今様形式の和讃は五百首をこえ、とくにそのなかで『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』をまとめて『三帖和讃』と称しています。『浄土和讃』は、経典などによって阿弥陀如来とその浄土の徳を讃嘆したもので、「冠頭讃」二首、「讃阿弥陀仏偈讃」四十八首、「大経讃」二十二首、「観経讃」九首、「弥陀経讃」五首、「諸経讃」九首、「現世利益讃」一五首、「勢至讃」八首、合計一一八首からなっており、とくに「讃阿弥陀仏偈讃」のはじめの六首は、「正信念仏偈」とともに門信徒が朝夕読誦する和讃として、ひろく知られています。
毎年行われる念仏奉仕団(今年は残念ながらコロナウイルスの流行のため中止になりました。)の二日目の「晨朝」(じんじょう)(毎朝午前六時より両堂で勤められます。なお、開門時間は午前五時三〇分です。・・・・本願寺ホームページより)に参加された方はご存じですが、『三帖和讃』が六首ごと繰り読みされており、その日にどの和讃が読まれるか、あらかじめ調べておかないとついていけません。晨朝はだれでもお参りできますので、京都で泊まられることがあれば、少し早く目を覚ましてお参りしてみてください。また、本願寺では夕刻4時から日没勤行(にちもつごんぎょう)として阿弥陀堂で「重誓偈」、御影堂で「正信偈」がお勤めされます。時間が少し遅いので、参拝される機会が少ないかもしれませんが、これが大変面白いのです。晨朝は法話・御文章拝読まで含めて、一時間ほどかかりますが、日没勤行は阿弥陀堂と御影堂併せて一二~一三分くらいで終わります。お経を唱えるスピードが、すさまじく早いのです!しかも早いだけでなく、感動的にきれいです。西本願寺の洗練された式務の凄さを感じずにはおれません。これは石山本願寺(現在の大阪城の地にありました)時代に、織田信長に十一年間攻められた折、戦火の中ゆっくりとお勤めができず、寸暇を惜しんで読経されたことに由来するそうです。
十一月の二十一・二十二日には勝林寺の報恩講が勤まります。夜のお勤めはお正信偈の“文類節”という普段聞きなれない節回しのお勤めです。例年なら出石町のご住職の皆様にご出勤いただき、盛大にお勤めさせていただくのですが、今年は自粛縮小開催です。ライブ配信もいたします。お参りください。 (文責 住職)