仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ
いよいよ今年も一二月、最後の月になりました。夏から秋にかけて年頭よりはやり始めた新型コロナウイルスが落ち着き、カニの解禁をきっかけに出石は自粛生活に飽き飽きしていた家族の行楽客でごった返していました。そんな雑踏の土曜日の午後、勝林寺には、多くのご門徒が駆けつけてくださり、境内剪定掃除、本堂の大掃除、仏具のお磨きに汗を流していただき、二一・二二日の報恩講を心待ちにしていました。ところが、週明けから感染が急速に再拡大し、住職緊急の判断で法要の二日前に急遽全門徒宛てにお葉書で「今年の報恩講は寺族のみでお勤め」と伝えさせていただきました。勝林寺の長い歴史の中で、報恩講がご門徒とともにお勤めされなかったことは一度もなく、今私たちの置かれている状況の異常さをあらためて深く感じます。法要は、寺族のみではありましたが、例年通りきちんとお勤めできました。その様子は動画で勝林寺のホームページで見られます。ぜひご覧ください。
さて、正信偈六首和讃も最後の一首となり、予定していたのではありませんが、ちょうど三年で終わるようです。四句一括りで進みましたので、あと三回続ければ十二年間この調子で書いていけるようにも思います。
一二月が最後の月で、お正信偈も最後で、自分の人生も六〇を過ぎ最後が近づいている中で、終わった後どうなるのだろうかという不安は人間の宗教意識のもっとも根源的なものだと思います。現代人は“死ねばおわり”“死ねば意識もなくなりすべてがパアになるだけ”とうそぶくのが流行りになっている感もありますが、昔の人より今の人の方が自分の死を恐れず、不安なく、心晴れやかに生きているようにはとても思えません。生きている間のことは概ね予想がついて見通せます。一二月が終わりの月だといっても、お正月が来てまた一月に続いていく。何度も経験して見えていることに不安はないのですが、先の見えない未経験なことは不安なものです。今生きている人には死んだ経験はない。だから死んだらどうなるのか想像し、空想し、昔からいろいろ語られてきました。そのイメージの代表的なのが“三途の川”なのだと思います。この世とあの世を分ける境目としての三途の川です。三途とは、火途〔地獄道、地獄の火に焼かれるところ〕、刀途〔餓鬼道、刀杖で迫害されるところ〕、血途〔畜生道、互いに相い食むところ〕であり、強烈に恐ろしい地獄のイメージです。生から死の境でこの川に転落し飲み込まれてしまう恐ろしさを示しています。この川を渡るために一般的には船頭さんに「六文銭」を渡すのだそうです。
昔の人が作ってきたビジュアルな地獄のイメージ、あるいは極楽のイメージは現代人にはリアリティーがなく、日本文化の中からすでに消えてしまったのかもしれません。しかし、コロナの引き起こした先の見通せないことへの不安は、人類の先を見通す力の限界を思い知らせ暗闇の恐怖をあらためて思い出させているようです。そんな中、親鸞聖人は私たちに正信偈和讃の最後で毎日、とても力強く“三途の黒暗ひらくなり”と歌わせ、先行きのわからない社会の中でも必ず念仏往生することの喜びを実感させていただいています。 (文責 住職)