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一月住職法語

帰命無量寿如来 南無不可思議光
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

 

お正月には毎年多くの人たちが帰省し、故郷で懐かしい顔と再会し、おいしいごちそうに囲まれながら、煩わしい日常から解き放たれて、のんびりとコタツに入ってみかんを食べながら過ごします。勝林寺でも私の姉の家族、長女の希里と次男の入海が帰ってきて、楽しいお正月を迎える予定でしたが、今年はそれぞれ京都、大阪、滋賀にとどまり、帰ることができません。帰りたくても帰れない、なんとも不自由な事態です。

 一年が巡り還ったお正月におうちに帰る。お正信偈も、四句ずつ読み進んでまた冒頭の“帰命無量寿如来”に還る。“カエル”にも“帰る”と“還る”とがあって、“返る”もありますので、日本語は難しいです。

 七高僧の一人、中国の善導大師が「帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん」と観経疏という本のなかで書かれたものを、親鸞聖人が教行証文類の証巻に引用されています。「帰去来(いざいなん)」とは、“さあ帰ろう”ということです。この私たちが生きる娑婆世界を早く離れて、浄土へ生まれようと勧められているのです。また善導大師は「帰去来、他郷には停まるべからず」とも表現されています。人生いろいろ、楽しいこともあり悲しいこともあり、為すべきことを見つけながらあちらこちらに住処を見つけて彷徨いながら、どこにも長居はできない。いくら遊びが楽しくても、日が暮れて帰り道が見えなくならないうちに、時間が来れば“いざいなん”と親の待つお家に帰らなければならない。この“帰る“は決心です。これに対し、“還る”は自然の流れ。回りながら、廻りながら元に戻っていく繰り返しの運動です。時が巡り、季節が巡り、くるくる回りながら自然と年を取っていく。仏さまたちは私たちに色を変え、形を変えながら、さまざまのめぐり合わせをもって自然のありようを教えているのです。私たちの命もまた自然のありようの一つとして、先に往った命が必ず仏の呼び声としてお念仏の中に還ってくるのです。

 今年は昨年以上に社会の変動が予想されます。どんな状況の中でも、私の帰る本当の家は阿弥陀様のお家なのだと、お念仏の中に聞かせていただきましょう。

(文責 住職)