ホーム » 住職法語 » 四月住職法語

四月住職法語

天親菩薩造論説  帰命無碍光如来
依修多羅顕真実  光闡横超大誓願

相変わらずあまり良いニュースが流れてこない日々の中、一つちょっとうれしいニースがありました。日本の映画「ドライブマイカー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したようです。私も昔は結構映画好きでしたが、最近観る機会もなく、そんなに関心ある話でもなかったのですが、ひと月ほど前に原作が村上春樹だと聞いて、久しぶりに文庫本を買って読んだところでした。近年の映像は美しく、見た目の美しさだけでなく、細かい描写の裏に謎のカギが潜んでいたり、比喩や暗喩が巧みに使われていたりして、観るものに観察力と集中力を要求しながら、それを見つけることの達成感と優越感を植え付け満足させます。映画やTVドラマも“ロールプレイングゲーム”のように視聴者参加型の手法が売れているようです。

〈真実〉はあらかじめ用意されたものではなく、自分が考え、見つけ出し、たどり着いていくもの。〈真実〉は一つではなく、自分が考え、見つけ出し、獲得したもの、だから一人ひとりにとっての〈真実〉がある。こんな感じの信念が現代精神文化の中にすっかり定着してきているようです。親の言いつけを守り、先生の話を信じ、お医者様の診断に従うような生き方はずいぶん古めかしいものになりました。しかし、つい七十数年前私たちの社会は親の言いつけを守り、先生の言うことに反抗せず、天皇を神と崇め、鬼畜米英と疑わず、八紘一宇を社会全体が夢見て、竹やりでB29を突き落とす訓練を重ね、ナムアミダブツと念じて敵艦に特攻していった国民だったようです。私の父も、先生も、“あの時はどうしようもなかったんだ”と、悼み、反省し、これからの社会が二度と過ちを起こさないように、子供を教育し、社会組織の変革に力を尽くしていたのだと思います。

古い習慣を捨て、新しい考え、新しい価値観の中で日本は高度に成長し、私たち戦争を知らない子供たちは、豊かに自由気ままに生きてきました。しかし、ここひと月余り、戦後の社会の中で人も社会も、少しも成長してこなかったのではないかと、うすうす気づいてはいたものの、得体のしれない不安感に沈んでいます。TVは戦前の「日本ニュース」のようで、市民は鬼畜ロシア、怪僧プーチンと揶揄し、NATOの民主的平和の世界統一を妄信しているようです。この流れに逆らうことは難しく、ウクライナを一方的に支援する正義感が、戦争をあおり核を世界に分散させる危険を、わが教団も戦前同様気づけないのでしょうか。

私たちはあくまで親鸞聖人の 「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり・・・煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」の言葉をかみしめ、世間の声に真実を求めず、修多羅(仏の教え)に依って真実を顕かにする念仏の日暮らしを、今こそ父や先生の努力を無にしないよう努めていかなければいけない大切な時だと思います。

(文責 住職)