私が、学校に勤めて間のない頃、新しく赴任した学校では、校務員の女性を「よしこさん」と呼んで、みんな頼りにしていました。私もすぐに打ち解けて「よしこさんお願いします」と頼っていました。ところがある日、教頭先生から「よしこさんはあなたより年上なのだから名字で呼びなさい」と注意を受けました。それ以来、私が「よしこさん」と呼ぶことはなくなりました。こんな些細なことを四十年経っても忘れていないのは、ずっと「本当にそうだったかなぁ」と疑問に思い続けているからでしょう。私の父は、七十三歳で亡くなりましたが、最後まで近所の人から「ゆたちゃん」と呼ばれていました。父だけがそうであったわけではなく、隣のおじちゃんは「しょうちゃん」、向いのおじちゃんは「みのちゃん」。高齢男性の呼び方とは思えません(笑)何の違和感もなく、私たちまでもがおじちゃんたちのことを話題にするときは「しょうちゃんが・・・」「みのちゃんが・・・」と使っていました。同じ地で生まれ、同じ地で育ち、永く年を重ねてきた間柄だから、何十年経っても変わることなく続いてきたのでしょう。うちの寺でも同じようなことがあります。上小田の方は、互いに「かよちゃん」「たかちゃん」「きーちゃん」「ようこちゃん」などと年齢に関係なく互いを呼び合われます。とても感じがいいので、つい私も一緒になって大先輩の方を「かよちゃん」「ようこちゃん」と呼ぶのですが、皆さんそれを許してくださいます。皆さんとの関係がぐっと近くなった感じがしてとても心地いいです。人の呼び方は、年齢とか関係性よりも、重ねてきた時間の質が作ってゆくものかもしれません。先日、住職が「たかえちゃん」と呼んでいた百二歳のおばあちゃんが大往生されました。
(文責 坊守)