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住職法語 2024-11

弥陀仏本願念仏  邪見憍慢悪衆生
信楽受持甚以難  難中之難無過斯

最近物騒な強盗事件が頻発しているようです。数年前からオレオレ詐欺とかロマンス詐欺とか変な名前の詐欺が流行りだし、ネット社会の進展に伴いそれを悪用した詐欺や事件が増えてきています。私も二十年年ほど前、坊守がまだ教師をしていた頃に、男が訪ねてきて“奥様がお勤めの小学校に図工の教材を提供している店のものですが、学校で中々お会いできないので、今月分の画材代をお支払いいただきませんか”といわれ、疑うことなくハイハイと数千円を渡しました。妻に特に話すこともなく数日たって、警察から電話がかかってきてダマされたことが発覚した時、悔しいやら、悲しいやら、恥ずかしいやらで、それ以来玄関や本堂に防犯カメラをつけるようになりました。人が人をダマし、悪意を持って侵入してくる危険は昔からあったにしろ、インターネットの普及はこの二十年間で桁違いに私たちの生活を危険にさらすようになってきています。ダマされればダマされないように疑い深くならなければなりません。攻撃されれば攻撃されないように防衛力を強化しなければなりません。今小学生にでもスマホやタブレットを持たせる時代になり、学校にネット社会で生きていくための“疑う力”を教えるこが要求されているのだそうです。

一人一人は他人とは違うそれぞれ個人です。身も心も人それぞれです。そんな個人が他の人より信用できる人と一緒に家族をつくり、家で暮らしています。家の中は、家の外の社会とは別の、自由で安心で心地よいプライベートな空間です。家の中の出来事は、もちろん影響は受けながらも、法律や倫理・習慣など社会的な他人の目が届かないプライバシーの護られた空間です。何を食べ、なにを楽しみ、どう愛し合っているのかはその家それぞれで、人が覗き見してはいけません。この家を守るために壁があり玄関があり、塀がつくられてきました。こうした物理的な家族を守る家の障壁が、テレビとスマホとインターネットの普及でガタガタになってしまったようです。セキュリティーの問題は個人も、家族も、国家も同じです。常に最新の技術を用いて疑い、相手の攻撃に備え強化していかなければならず、疑えば疑うほど疑いは深まっていきます。現代社会の最も深い問題は、疑う心が深まりつづけ、信じる喜びが得られないことにあるのではないでしょうか。  お念仏は信心の世界です。親鸞聖人は『教行信証』の信巻で「信楽というは、すなわちこれ如来の満足大悲円融無碍の信心海なり。このゆえに疑蓋間雑あることなし。ゆえに信楽と名づく」とで述べられています。信楽(しんぎょう)というのは信心の中心です。信じて喜ぶ心です。この信楽を獲ていることが念仏者の証(あかし)です。しかし私たち悪衆生にとって本願を喜び、念仏をいただくことは、邪見や憍慢の心が妨げとなって、困難な中でも最も困難で、これ以上の困難なことはないのです。それほど困難な、重く頑強な疑いの蓋(フタ)を開き、安心して素直に喜び、共に信じ、生きる命を楽しめる社会を目指すには、セキュリティーシステムの強化ではなく、ただ一心にお念仏を称えることしかないのです。

(文責 住職)