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住職法語 2025-02

宣説大乗無上法  証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦  信楽易行水道楽

 先月の寺報が“龍樹ちゃんに叱られますよ。”で終わっていることに、何人かの方から、“あれはどういう意味ですか?”“誤植ではないですか”とご指摘いただきました。確かに師走の慌ただしさの中、自分でもいささか強引な結文だなと思いながら、言葉足らずにくくったことを反省しています。

あれは冒頭の正信偈の文句“龍樹大士出於世 悉能摧破有無見”を受けて書いたつもりの言葉だったのです。七高僧の第一祖であるお釈迦様の予言どおりにこの世に出てきた龍樹は「ことごとく有無の見を打ち破った」のであり、一切のものごとについて、何かを絶対視して、有るとか無いとか、偏った考え方を固持することを排するのが仏教の教えとするのが、龍樹菩薩の基本的な立場である般若、空の思想です。だから私たちも仏教の教えに生きようとするならば、少しずつでも我執の殻を破って、対立を乗り越えて生きなければならない。それなのに今、世界中に対立、闘争の嵐が吹き、兵庫県でもあれが正しいこちらが間違っているとガタガタだし、我をはりあう教学論争は、こともあろうに西本願寺の中でも吹き荒れています。そんな様子を龍樹菩薩が見ていたら、チコちゃんみたいに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」って叱られるだろうなということが言いたかったのです。余計にわからなくなったかもしれませんが。

その西本願寺で一月九日から十六日まで「御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)」  がご修行になりました。勝林寺の十一月の報恩講の本山版です。私はこれまでお参りしたことがないのですが、今年はYouTubeでライブ配信されているのを見ました。出石からも毎年お寺の住職やご門徒さんがお参りに行かれていることは聞いていましたが、なかなかこの時期総代会、代議員会と忙しく、ご縁に遇えていません。しかしライブ配信を見ていると、全国各地から忙しさを振り切り、寒さを乗り越えお参りされるたくさんの人たちが、お念仏をともによろこばれている姿に感動させられます。

今回の正信偈に“証歓喜地生安楽”とあります。 “歓喜”とは人の心の中の状態であるとともに、その心を醸し出す場所(土地)でもあります。よろこべる場所に座ればおのずと人の心は喜ぶようになる。寺の本堂はそんな場所でありたい。その場所では男も女も、若い人も老人も金持ちも貧乏人も社長も労働者も外人も日本人も学者も阿呆もみんな親鸞様と一緒にお念仏を称え、お浄土に往生することを信心し、感謝のうちに日々を生きる喜びを分かちあえる場所であってほしいのです。いま世界の中でそんな場所が急速になくなりつつあります。親鸞聖人は“世の中安穏なれ 仏法広まれ”と、寺の本堂だけでなく、私たちの暮らす社会全体が歓喜の地になることを望まれました。今社会全体が憎しみ、怒り、妬み、疑い、けなしあい、ウツに沈み込む世界であるからこそ、龍樹菩薩がすすめていただいた念仏の大船に乗って、浄土への旅をともに楽しく渡っていきたいものだと思います。

(文責 住職)