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住職法語 2024-12

印度西天之論家   中夏日域之高僧
顕大聖興世正意   明如来本誓応機

この秋から、住職が理事長を務めるNPO法人ダーナの運営する老人向け総合施設“シカバレー“に、ミャンマーから二人の女性が働きに来てくれています。ミャンマーといえば「ビルマの竪琴」と“アウン・サン・スー・チー”さんしか頭に浮かばないのですが、“ムー”さんと“オンマー”さんという賢そうな人達です。「ビルマの竪琴」も原書を読んだことがなく、中井貴一が主演した映画も見ていません。しかし自分には小さい頃、父が幻灯機で絵を映しながら何度も読んでくれた「ビルマの竪琴」が印象的で、そこには私の戦争と友愛と仏教の原イメージがあるように思うのです。

仏教は二千五百年ほど前にインドでお釈迦様が説かれました。お釈迦様の前にも後にも悟った人はたくさんあったのでしょうが、この人のすごいのは、苦しみ悲しみ迷う人、一人一人に対して、その人にあった仏に至る道を説かれたことでした。誰でもが釈尊に出遇って話を聞けば仏になることができたのです。だからお釈迦様は一つの正しい教えを説いたのでなく、出会った人々の数だけの教えを説かれ(八万四千の法門)、それは文字として残されませんでした。これを対機説法といい、他の宗教と仏教の教えの大きな違いとなっています。

お釈迦様が生きておられるときはそれでよかったのですが、亡くなった後、残された者たちは大変困ったのだと思います。あっちではこう言っておられた、こっちではこう言っておられた。私はこう聞いた、いや私はこう聞いた。放っておくと話が無茶苦茶になって訳が分からなくなってしまうので、残されたお弟子たちはみんなで集まって聞いた教えを文字に残し、後の者に伝えようとされました。それがお経として残されたのですが、その内容は多種多様で、仏教の教えはその後、大きく上と下にわかれ、紆余曲折しながら日本に伝わってきたということです。同じ仏教であってもいろいろな宗派があるのは、お経がいろいろとあるからだともいえるのです。

親鸞聖人は九歳で出家され、比叡山でたくさんのお経を読み修行を励まれました。しかし、山の上で親鸞聖人は生死出べき仏の教えに出合えず、二九歳の時に山を降りられます。そして法然上人のもとで、お釈迦様が親鸞一人のために対機説法された教えに出遇うことができたのです。直接は法然上人が親鸞聖人に伝えられたのですが、その間にはインド・中国・日本の高僧様があったのだと親鸞聖人は考えられています。その七人の高僧様はお釈迦様(大聖)がこの世にお生まれになった(興世)本当の意味(正意)を顕か(あきらか)にされてきたのであり、阿弥陀如来が私の為に立てられた最も中心の誓いである願(第十八願・念仏往生の願)を明らかにされてきたのです。

ミャンマーに伝わった仏教がどのようなものなのかわかりませんが、同じお釈迦様の教えの影響を受けた文化の中で育った彼女たちが、ダーナの活動の意味を理解して、シカバレーに暮らす人たちに、やさしく笑顔で接してくれるものと期待しています。

(文責 住職)