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住職法語 2025-01

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年々一年の過ぎていくスピードが加速しているように感じます。人それぞれなのでしょうが、どうも私は若い時よりこの一年が早く過ぎたように感じます。そんな話をしていると、ある方が、TVでこんなこと言っていましたよと教えてくれました。“一年の過ぎゆくスピードは年の数のスピードである”そうです。十歳の時は十㎞、二十歳の時は二十㎞六十歳になれば六十㎞で一年を駆け抜けていくのだそうで、私などはまだ法定速度くらいなもので、九十歳ともなればかなり危険な速さで一年が過ぎるのだそうです。まあ、人それぞれなのでしょうが、今年も事故のないように一年を過ごしていきたいと思います。

さて、今年はいよいよ「2025年」です。もう四十年近く前の1988年に国は「ゴールドプラン」(高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略)という構想を打ち出しました。その時念頭に置かれたのが「2025年」すなわち、戦後のベビーブームで産まれた「団塊の世代」(この当時の合計特殊出生率は4.32、現在は1.20)が後期高齢者となるのが「2025年」でその当時ここまで出生率が落ち込むことは予想していなかったものの、“高齢化社会”というものが来るであろうことを予想して、特別養護老人ホーム整備、ホームヘルパー・デイサービス・ショートステイの整備による在宅福祉対策などが進められました。私もその流れに乗って、京都から出石に帰ってきて、但東町にできた“けやきホール”に勤め、老人福祉の道を歩むことになりました。その後も常に「2025年問題」を意識しながら歩んできましたが、今その年になり、“何とか支えられてきたな”という達成感と、“これからどうなっていくのか”という不安感をもっています。

国は昨年あらためて、団塊の世代が七十五歳を超えていく中、誰しもが認知症になりうることを前提とし、認知症になっても支えられるだけでなく、希望をもって生きられる社会を実現するという「新しい認知症観」に立った取り組みを推進するための基本計画案を打ち出してきました。この「新しい認知症観」は「認知症になったら何もできなくなるのではなく、認知症になってからも、一人一人が個人としてできること、やりたいことがあり、住み慣れた地域で仲間などとつながりながら、希望をもって自分らしく暮らし続けることができるという考え方」とされています。

“国の方針など机上の空論でしかない”“現場のしんどさを具体的に解消してほしい”の声や議論が渦巻いていますが、2025年は我が事として「新しい認知症観」に立った取り組みを、自分にできるように進めていきたいと思っています。

今後2025年以降の問題は“有無を言わさず”やってきます。とかく近年あれやこれやと我をはり議論しようとする人が多い中ですが、龍樹ちゃんに叱られますよ。

(文責 住職)