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十月 どすん

本堂の前の大きなイチョウの木。先日、その先から五メートルほどを切り落としていただきました。理由は、庭師さんから「これ以上大きくなると剪定できません」と言われたからです。確かに、近年の剪定の様子は見ている者でもこわごわでした。切っていただくその日、まず庭師さんが木に登ります。次に、クレーン車の運転手さんと庭師さんが声を掛け合い、木の先端部分の枝にロープをかけ、切っても下に落ちないように準備をします。そして、庭師さんが切断場所を決めるとその周辺の枝を落とし、いよいよ幹に刃をいれます。ここまでは「へーっ」「ほー」と興味津々で見ていた私でしたが、幹に刃が入った途端、木をただの木として見ていられなくなってしまいました。

「せっかくここまで大きくなったのにかわいそう」・・切断された先端部分が庭に降ろされ、運び出すために小さく刻まれる時にいたっては、つらくてもう見ていられなくなりました。切られた木の姿に人生を重ね合わせるスイッチが入ってしまったみたいです。植えられてから今日まで、大きくなること成長することを望まれ期待されて、ずっとそれに応えてきました。しかし、あるとき周囲の都合で理不尽にも、そのことが否定されてしまう・・人生にも多かれ少なかれありますよね。そんな時、人はどうすれば次の一歩を踏み出せるのか。それは、また、木の姿が教えてくれます。木は、切られてもまたそこから新たな芽を出し、葉を出し、枝を伸ばしていきます。(多分うちのイチョウの木も)それは、目に見えない大地にしっかりと根を張っているからできることです。ならば、人である私たちも目に見えないところでしっかりと根を張った生き方ができればいいですね。人が根を張れる大地、それは「仏地」(仏さまのご本願)であると教えていただきます。(文責 坊守)