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三月住職法語

憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

毎朝、夜の明けないうちに裏山に登り、犬を放し、鹿追い、栗鼠(りす)追いをしています。今年はいつまでも雪が降り、寒い日が続いていますが、雪の下の枯草の間にフキノトウが頭を出しているのを見つけました。 “自然は隠れることを好む”と言われますが、人は隠れているものを “見~つけた”ら嬉しくなるものです。小さい春を見つけながら、春よ来い早く来いと待ってます。

相変わらずコロナが生活を取り巻き、新しい戦争までおこって、人間社会はますます冬の世界に凍てついていくようで、暖かい春の兆しが見つけられません。私たちの生活は科学の目覚ましい進歩と文明の発達で、どんどん豊かになり、便利になり、何でも思いのままになりました。そうしたことが、すべての人でないにしろ、人間の態度を大柄で、横着で、大仰にしているように感じます。動物や、山や、川の自然に対する人間の身勝手な生活態度が重なり合い、今深刻な自然環境の破壊となって未来の世界を不安なものにしています。人もまた自然の一部であるという考え、地球の環境を守っていかなければならないという行動が、ようやく世界中で叫ばれるようになってきました。

そもそも私たち日本人の心の中には、自然を敬い、自然に生かされていることへの感謝をもって、慎ましく・こまめに・淑やかに生きようとする習慣があったように思います。しかし、この心は人間にもともと備わっているものではなく、そのような心をもっていきている親や家族や社会の中で、育てられ、教えられて、学び、気づかされながら育つ心であるといえます。何よりお釈迦様は、そのままほっておけば、殺し合い、奪い合い、憎しみあうしかない愚かな人間の猿知恵に対し、共に生き、支えあい、喜びあえるように人間を育てることを教えられました。この教えが聖徳太子によって日本に入り、和の国日本の文化伝統を幅広く育ててきたのです。人の言葉や知識を超えて、あらゆる命、あらゆる自然と共感する仏教の教えは、お念仏として私たちのところに届けられています。親鸞聖人は最晩年八十八歳のお手紙に自然法爾(じねんほうに)ということを書かれています。その冒頭を難しいですが、書いてみます。

「自然といふは 自はおのづからといふ 行者のはからひにあらず 然といふは しからしむといふことばなり しからしむといふは 行者のはからいにあらず 如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ 法爾といふは この如来の御ちかひなるがゆゑに しからしむるを法爾といふなり 法爾はこの御ちかひなりけるゆえに およそ行者のはからひのなきをもつて この法の徳のゆゑにしからしむといふなり
すべて ひとのはじめてはからはざるなり このゆゑに 義なきを義としるべしとなり」

他力念仏は、隠れた自然を見つけ、必ず人類の危機を乗り越える道です。
(文責 住職)