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六月住職法語

如来所以興出世  唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海  応信如来如実言

 毎月寺報の原稿を書くのはたいてい土曜日か日曜日の時間を使うことが多く、土曜日の朝には前にも一度お話しした「チコちゃんに叱られる」というNHKの番組を必ず見てから動き出します。この番組は“五才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問にあなたは答えられますか? 知らないでいると、チコちゃんに〈ボーっと生きてんじゃねーよ!〉と叱られますよ”というものです。毎週毎週いろいろ面白い話があって、皆さんにご紹介したいのですが、まず今日は、「なんでチコちゃんは五歳児なのか?」というところに朝から引っかかっています。

もう自分の子供たちも大きくなってしまい、小さかった昔を懐かしむことが多くなりました。娘の希里が小さかった頃のビデオを見ていると、「ちょっとみせて!ちょっとみせて!!」と言って、かわいい姿をそっと撮ろうとしている私の方に近づき、まとわりつき、ビデオカメラをのぞき込み、娘の姿が撮れなくて困っている私の様子が残っています。とにかくこのころは何にでも興味津々で、お父さんのすることに、なんで?なんで??と、疑問を投げかけ、ずいぶん大変だった(楽しかった)のを想い出します。興味や好奇心は素朴な疑問となって現れます。五歳児あたりは素朴な疑問の最盛期で「なんで人は右で車は左なの?」「なんで鶏は卵を産むの??」「なんで法事にはお経を読むの???」と、もう大人が考えもしなくなった当たり前の事に疑問を持ち、知りたいと欲求してきます。そのころは親も忙しく、一緒に疑問に付き合って考えることもなく、「そんなの常識やん」とやり過ごしているうちに、子供たちは学校の教科書で知識を増やし、スマホで世界の知識を検索し、もう親には質問してくれず、素朴な疑問に出会うこともなくなってしまいました。NHKの番組「チコちゃんに叱られる」はそんな子供たちが可愛かったころの楽しいやりとりを思い出させてくれて、面白く毎週見てしまうのかもしれません。

日々の生活を忙しく過ごしていくうえで、「なんで?」と疑問をもって生きることは、生活の邪魔になります。なるべくそんなことは考えず、淡々と生きていくのが大人というものなのでしょう。しかし、どこかで私たちはいつでも根本的な「なんで?」という問いをもって生きています。「なんで私は生きているのだろう?」「なんで私は生まれてきたのだろう。」この世の人生の終わりがいよいよ近づく中で、自分自身が何のために生まれ、何のために生きてきたのか、それなりに気になってきます。それは誰だって同じことで、お釈迦様は何のために生まれてきて、何のために仏教を説いたのか?「なんで?」と親鸞聖人はチコちゃんのように素朴に疑問をいたされました。そこに出てきた答えが、「唯説弥陀本願海」(ただ弥陀の本願を説かんがため)。「お釈迦様がインドの地に生まれ出てこられたのは、ただお念仏をこの私に称えさせるためだった」という答えでした。そうであればこの私は「なんで生まれてきたのか?」と問われれば、「お念仏を称えるために」という答えになりそうです。

疑問を疑問のまま終わらせず、しっかりと答えを見出して人生を終わりたいものです。

(文責 住職)