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十二月 住職法語

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁 開入本願大智海

 この頃いろいろなニュースが流れてくる中で、国際政治、文化、経済、様々なものが不安定になっていることが感じられます。どの事柄も、何かが転換するところは不安定で、危険な場所となります。例えば宇宙と地球との境のことを大気圏と呼び、宇宙船が地球に帰還するとき、大気圏への再突入が一番難しい作業なのだそうです。また、勝林寺のそばを流れる出石川の水が、豊岡の大橋を通り過ぎるころから、淡水と海水が混在した状態となる、海と川の境のことを「汽水域」と言い、ここでは色々な珍しい生き物が育つと同時に、命にとって、とても危険な場所でもあるそうです。こうした「境界」は他にもいろんなものにあります。それらの境界というところでは、共通して創造性と危険性が混在しているのです。

私たちの社会も、いま何らかの境界に立っているのではないでしょうか。その先を過ぎればそこでは新しい世界が広がり、わくわくするような楽しいことがたくさんあるような気もします。しかし、一歩間違えば世界が破滅してしまいそうな、すべての命が無くなってしまうような危険な雰囲気も漂っています。

お正信偈の中で、大きく節が転換する境界が「善導独明~」のところです。親鸞聖人の教えを引き継ぐ後の者が、正信偈に節をつけて読誦するためにつけた音的な変化なのですが、親鸞聖人にとっても、インドのお釈迦様の教えが七高僧を通して伝わる中で、特に大きな転換点だったように聞こえてきます。お正信偈の導師をしている時「善導独明仏正意」と声高らかに宣言します。親鸞聖人は法然上人が「選択集」の中で「遍依善導」と教えられたことをそのまま受け、そしてより強調して、「善導大師のみが、数ある仏教者の中で、ただ一人だけお釈迦様の本当に伝えたかった教えの意図を私たちに伝えているのです」と、宣言されているのです。

現在の「境界」社会の中では、多民族が入り混じり、情報の氾濫の中で価値観が多様化し、思想が多様化する中で、私たちの考え方は一つの考え方に偏らず、広くいろいろな人の考え方を取り入れ、頑なにならず、柔軟に包括的に考えて行動していくことが大切だとされます。阿弥陀様の願い、親鸞聖人の教えは、限りない対立を乗り越え、曲げることのできない人の計らいを融和させる包摂の力を持っています。しかしそれは、「あれも・これも」という選び取りの思考から出てきたものではなく、「あれか・これか」という選び棄ての思考の中で、本当に自分の真実をつかみ取った時に生まれる、柔軟な思考なのだと思います。

私たちは今、混沌とした境界時代の中で、毎日「善導独明仏正意」と大きな声で唱えつつ、親鸞聖人の念仏一つの教えに依って、迷うことなく生きていきたいものです。

(文責 住職)

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