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九月住職法語

解脱の光輪きはもなし 光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ

私が高校を卒業して京都にでたころは、出石にお蕎麦屋さんは五軒ほどしかなく(現在は五十軒近くあるようですが)出石という字を見て“デイシ”と読まれ、“イズシ”から来ましたと自己紹介すると、「伊豆市」を思い浮かばせる人が多かったです。ちょうどその頃、国鉄が“ディスカバージャパン”というキャンペーンを始めて、京都の山科駅の通路に大きな辰鼓楼のポスターが貼られていて、うれしく眺めたのを覚えています。これをきっかけに、その後出石は「お蕎麦の町出石」として急速に有名になりました。出石を説明するのに、まだその頃はコウノトリも絶滅寸前でしたし、カバンの町豊岡も有名でなく、八鹿高校事件の八鹿の隣町ですというのが一番わかってもらえたようでした。あの八鹿高校事件から来年で五十年がたちます。私は出石高校一年生の時で、父(前住)も同じ出石高校の教員で、熱心に同和教育に取り組んでいました。その当時出石高校は西池先生のほか、楠先生、山崎先生、宮本先生、安永先生とお坊さんの先生がいっぱいで、寺の子としては気恥ずかしい三年間でした。父は学校の中では同和教育を熱心に進めると同時に、寺の住職として、本山の進める基幹運動に深くかかわっておりました。

基幹運動というのは本願寺教団が、門信徒会運動と同朋運動の二つの運動を一本化して進めたもので、中でも同朋運動は、部落差別問題が私たちの宗門全体の課題であると認識し、あらゆる角度から社会の中の差別をなくしていくことに念仏者としてかかわろうとしたものでした。今日これが発展して、「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)となっています。実践運動は、あらゆる人々が自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的として、宗門を構成するすべての人々が参画し、いのちの尊さにめざめる同朋一人ひとりが自覚を深め、浄土真宗のみ教えを宗門内外に広く伝え、従来の枠組みを超えた多様な活動を、社会に広め実践していくことをめざした運動です。 こうした運動の基本には、戦前の本願寺教団、そして念仏者としての自分自身の生きざまへの深い反省と後悔の念があると感じます。私の師である信楽と父はたまたま同年代で二人とも出征しています。二人とも寺に生まれ、親鸞聖人のみ教えを学びながら、二十歳にして終戦を迎えるまで、戦争することと念仏することに矛盾を感じることができなかった。父も先生もそれはとてもおかしいことだったということを私に、父として諭し、師として教導してくれました。生活の中でお念仏をとなえながら平気で人を差別し、お経を唱えながら戦争を盛り立て、阿弥陀様に手を合わせながら天皇陛下万歳と叫ぶ、あれはあれ・これはこれ、身と心、宗教心と社会行動がバラバラでいいんだという考えから、それは間違っていたのだと目覚めて、親鸞聖人の教えにしっかり戻そうとしたのです。

現在戦争・貧困・格差が極めて深刻化しています。今こそ戦前を悼む人々の声を思い出し、“平等覚に帰命せよ”という親鸞の教えにいきる念仏者であり続けなければなりません。

(文責 住職)