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五月どすん

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最近、よく草取りをするようになりました。理由は、新型コロナウイルスの感染予防のために、寺の行事が減ってしまったから。例年なら、月に一回は寺の行事があり、仏教婦人会の役員さんがいつも早めに来て、境内や本堂をきれいにお掃除してくださることに甘えているのですが、それがないので、ほっておくと草原のような草だらけの庭になってしまうから。そして、寺の行事が中止になれば、それに伴う準備も減るので、私の隙間時間がずいぶん増えたから。なので、ちょっと時間があると手ぐわを持って軍手をはめて、庭に座りこむというわけです。幸い、勝林寺の庭の草は、私が取っても取っても無くなってしまう心配がないほどたくさんありますので(笑)、私の充実した草取りの日々は延々と続くことになります。草取りをして気づいたことがあります。はじめは、たいてい考え事の片手間に草を取っているのです。夕飯のメニューだったり、この後のスケジュールだったり、でも、いつもやっているうちに、それを忘れます。今取っている草の先にある草、またその先にある草と取っていくうちに、次にとる草をたくさんある中のどれにするかそのことだけしか考えなくなります。来客を知らせるチャイムの音や住職の声でふっと顔をあげるまで、私は「無心」になって草を取っているみたいです。

 ストレスをためる現代人が多いといいます。そこで進められているのが心を無にする瞑想。しかし、なかなか頭の中を空っぽにすることは難しくて、「呼吸だけに集中する」とか「聞こえる音だけに集中する」と勧められていますが、邪念が入り集中できないのが常です。しかし、草を取ることだけに集中している私は、たぶん瞑想状態です。そのせいか、終わった後、庭がほんの少し綺麗になったことも併せて、とてもすっきり気持ちがよくなります。

(文責 坊守)