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十月住職法語

読み上げ

一切善悪凡夫人  聞信如来弘誓願
仏言広大勝解者  是人名分陀利華

秋の彼岸が過ぎ、少しずつ日が短くなり、朝晩涼しく感じるようになってきました。数年前、寺の境内の片隅に矢根の永井さんが彼岸花を植えてくださいました。はじめは知らない土地に馴染めず、消えてしまったようでもあったのですが、ここ数年すっかり寺の土に馴染んで、年々花の数を増やしています。お彼岸の中日のお説教では「暑かろうが寒かろうがお彼岸になれば必ず彼岸花が咲きますね」が、冒頭の決まり文句でしたが、昨今の異常気象は時候の挨拶にも影響しているようです。ちなみにこの彼岸花は、その葉と花を一緒に見ることがない性質から「葉見ず花見ず」といわれるそうで、花言葉は「再会」というのだそうです。何もない地面から突然伸びあがってくる真っ赤な花は、あちらの世界からの通信として、すっかりスマホ慣れした現代人の感性に、日本人の霊性を少しよみがえらせる効果があるようです。

四季折々に多くの花が咲き、どの花が一番だなんてことはないのですが、仏教の中で一番の花は“分陀利華”、すなわち、白蓮華(ハスの花)のようです。私は本物の白蓮華を見たことがなかったのですが、最近休耕田を利用して地域ぐるみで栽培されているところがあちこちにあり、白色だけでなくいろんな色のハスの花が夏のお盆のころに見られるようになりました。家のお仏壇の中で阿弥陀様が立っておられる台を「蓮台」といいます。よく見れば、蓮の花びらの形をしています。本堂のお飾りの中にも蓮の花をモチーフにしたものがたくさん使われています。仏教の生まれたインドにも、いろんな綺麗な花はたくさんあるのでしょうが、一番美しく、尊く、清らかで、仏様の花として、仏の悟りを象徴するお浄土の花が白蓮華です。親鸞聖人も『高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥(おでい)にいまし蓮華を生ず。』と、『教行証文類』の中で引用されているように、この花の尊さは、爽やかな風の吹く高原の原っぱで涼しく咲く花ではなく、ドロドロと汚く湿った泥田の中から這い上がって、さらに泥には染まらず清らかに咲く花なのです。それが仏教のめざす仏様の姿によく似ているのです。世間の雑事から距離を置いた涼しい環境の中で学問に励み、人と争うことなく上げ膳据え膳の環境で、悪を見下して笑う悟りは、仏教の仏様の微笑みとは違っているのです。私たち念仏者が人生で咲かせる花も、白蓮華の如しです。誰より親鸞聖人が、二十年間修業された高原の陸地の比叡山を捨て、私たちの生活する卑湿の淤泥のなかに飛び込んで、お念仏の花を咲かせ、私たちに見せていただいたのです。また、その後も、白蓮華(分陀利華)のような念仏信心の生きざまをされた方を、浄土真宗では“妙好人”といって人生のお手本としています。

花にはいろいろあるけれど、人生もいろいろあるけれど、やはり仏様に分陀利華と言われ、妙好人と褒められる人となっていきたいものです。  (文責 住職)