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住職法語 2024-01

帰命無量寿如来 南無不可思議光
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 勝林寺では元旦から三日間、朝のお勤めの正信偈の後“現世利益和讃(げんぜりやくわさん)”を詠わせていただきます。普段はもちろん六首の和讃を読みなれているのですが、なぜお正月にだけ“現世利益和讃”なのか、ほかのお寺でもそのようにしているのか、時々疑問に思いながら続けています。お正月三が日早朝限定のお勤めなので、ご門徒の皆さんも聞かれたことがないのではないかと思います。また、その節も前々住職、前住からの口伝によって引き継がれたもので、それ以外の人のお勤めを私は聞いたことがなく、今住職が唱えている節が正しいものなのかどうか、自信がありません。

 “現世利益和讃”というのは親鸞聖人がうたわれた浄土和讃の中にある十五首のご和讃で、“念仏の行者に法の自然として、自然に備わる現世の利益が、加被せらるることを和讃せられているもの”と説明されています。 私たちの浄土真宗は加持祈祷を行わず、現世の利益を願わないものです。お正月には初詣に行って、家内安全・無病息災・商売繁盛・入試合格などを祈願するのが世間の常識でもあるようですが、少し考えれば、それがどれほど自分勝手で、自分本位の願いは本当には自分のためにならないことくらいすぐにわかってきます。勝者は敗者を作り、成功は憎しみを招き、喜びは悲しみを深めます。世間の中には私たちの浅はかな願いをかなえることで人を騙し、惑わすいかがわしい宗教が多く存在しますが、阿弥陀様はそんな人間の勝手な欲望をかなえて、より人を苦しみのどん底に突き落とすようなことはしない。浄土真宗は真実の宗教だから、目先のご利益で信者を獲得しようなんて姑息なまねは致しません。しかし、現世利益はないのかというとしっかりと説かれている。年に一度、お正月に、修士論文がかけずに、宇治の先生のお宅でおせちの数の子をいただいて、数の子が大好きになった年を除いて六十四回現世利益和讃をうたい続けてきたことで、お念仏を称えて得られるこの世の利益が実感できているのだと思うのです。

その一首目には『阿弥陀如来来化して 息災延命のためにとて 金光明の寿量品 とおきたまへるみのりなり』とはじまります。まず「息災延命」と出てくる。また二首目には「七難消滅」とも出てくる。とても一般的な現世利益のようでもあるけれど、それは決して私の心の狭い欲に満ちた願いではなく、広く一切衆生のことを思う「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」に通じるお念仏のご利益として示されているのです。

“帰命無量寿如来”も“南無不可思議光”も【南無阿弥陀仏】です。お正月早々から南無阿弥陀仏ととなえれば、この世の利益はきわもなく、他のいかがわしい雑音に道を迷わされることなく、よるひるつねにまもられて、お浄土への道をまっすぐに歩んでいけるのです。

“現世利益和讃”を録画してホームページにアップしようと思ったのですが、勝林寺の秘事を公開するのはいかがなものかと思案しております。(文責 住職)