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住職法語 2024-03

五劫思惟之摂受  重誓名声聞十方
普放無量無辺光  無碍無対光炎王

二月に入り例年になく暖かく、もう春が来たのかと思っているとまた寒波が襲来し、雪が舞って、ついに体調を崩してしまいました。年末から年始にかけ、コロナワクチン・インフルエンザワクチン、この前は肺炎球菌ワクチンも接種しました。注射は“接種”、栄養は“摂取”と書かれます。深い理由は分かりませんが、ワクチン接種のおかげで鼻水程度にやりすごすことができ、栄養ドリンク摂取の力をかりて、この寺報を書いています。自分以外のものを自分の中に取り込んで我が身のものとしていく。生きるということは何かにつけてその繰り返しなのでしょう。その取り入れ方が一方的であったり、片方にとって不本意であったり、納得できなかったりで、副反応や中毒、紛争や闘争も起きているのだとも思います。

近年個人も、家族も、社会も、国家も“エントロピー増大の法則”が顕著になっているようです。エントロピー増大の法則とは、物事が放置されると、乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻らないという法則です。この法則は熱力学や統計力学において重要であり、宇宙の変化にも適用されるのだそうですが、それはまた、私たちの社会生活でも適応しているようです。

 バラバラになっていこうとするものをまとめていくのが“摂受(しょうじゅ)”です。摂受とは、折伏(しゃくぶく)に対する語で、心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいうやりかたです。阿弥陀様はこのうまい統一の仕方である“摂受”について五劫(ごこう)のあいだ考え続けられました。《「五劫」とは、下界におりる天人の衣が岩をなで、岩がすり減るまでの時間を指す「劫」を五回繰り返すことで、ほぼ永遠を表すと考えられている。また、「五劫」とは「想像もつかないほど長い時間」を表わしており、人間の思慮を超えた「阿弥陀如来の慈悲の深さ」を表わしているとされる》と説明されています。それ程エントロピー増大の法則に反して私たちを導き、まとめていくことは難しいことなのです。しかし阿弥陀様の救いは「摂取不捨」であり、「摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」と親鸞聖人は述べられています。そして「摂取」の「摂」という字は「もののにぐるをおわえとるなり」とも説明されています。「もの」とは十方群生海、生きとし生けるもののことです。その「もの」が仏の「摂取」、「ひとたびとりて、ながくすてない」というはたらきのなかにありながら、そこから逃げ出そうとする。その逃げ出そうとするのを、「まあ逃げていくやつはしょうがない。去る者は追わない」というのではなくて、追いかけていって連れ戻すのが阿弥陀様の本願の力なのです。

 しかし最近、あまりに非寛容に争い続け、自己主張を競い続ける人たちの姿を毎日毎日見ていると、疲れて「縁なき衆生は度し難し」と、つい言ってしまいたくなります。

(文責 住職)