広由本願力廻向 為度群生彰一心
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
春はうれしい季節です。今年は花芽が膨らんだころからまた寒波に襲われ、開花がゆっくりになったおかげで、入学式の頃が桜花爛漫となりました。入学式帰りの家族が、晴れやかな出石城の桜をバックにお祝いの写真を楽しそうに撮られていましたい。春はまた、おいしい季節です。特に今年は“わらび”を何度かいただき、観桜会(十二日の観桜会まで境内の桜が満開だったのは憶えがありません)でも皆さんと一緒に美味しくいただきました。
春の山菜は自分が食べることよりも、決まった場所に今年も顔をだした山菜を、タイミングよく採るのが楽しみなのだそうです。多く採れればうれしいのですが、来年もまた春に出会えることを願いながら、こっそりとその一部を“いただく”のです。だから春の恵みは独り占めせず、とり尽くさず、人にわけて、みんなで楽しむのだそうです。たしかに山菜は自分の所有地に栽培した野菜とは違い、野原や土手や誰でも入れる場所に生えてくるものだから、余計にその場所をみんなで守り、与えられた恵みに感謝する気持ちが強くなるのだと思います。もともと農業は山菜ほどではないにしても、人が人の力で作り出す生産物(自動車や携帯電話)とは違い、自然の力に頼りながらそれを計画的に利用して仕事しているのが農業というものだと思います。そしてそこで得られる“食”が、私たちの命を支える基本となるのです。
最近読んだ本に、内田樹「沈む祖国を救うには」というのがあります。その中で“農作物は「商品」ではない”と書かれていました。少し引用すると“他の「商品」は(自動車でも携帯電話でも)供給が途絶しても、それで人が死ぬということはない。でも、農作物は供給が途絶すると、しばらくすると争奪で人々が争うようになり、やがて人が餓死し始める・・・だから、食物、医療、そして教育は絶対にアウトソースしてはいけないのである。それだけは国民国家の枠内で自給自足できる体制を整備しなければならない。・・・戦闘機やミサイルを買う予算があるなら、農業と医療と教育に投じるのが本当の意味での「国防」である。”と、書かれています。やはり日本人はお米を大切にし、お仏壇にお仏飯をお供えし、春の恵みを分かち合いながら、穏やかに日々を送り、お念仏の中に感謝の生活をよろこばせていただくのが、今こんなに無茶苦茶になってしまった世界を乗り越えていくための、唯一の道だと思います。 人は一人で生きているようで、他の人と絡み合って生きています。自分で考えて自分が判断しているようでも、周りの人の考え、家族の思惑、社会の通念に流されて動いていることが多いのではないでしょうか。もともと自分はそんな考えは持っていなくても、時代の流行でみんなが動けば“群集心理”に流されて自分を失ってしまう。人とはそんな群れてしか生きられない「群生」(ぐんじょう)なのです。その雑多な命を、一人一人の大切な命として、目覚めさせ、考えさせ、行動させてくれるのがお念仏です。この混迷の時代を、スマホから流れる情報に流されず、一心に浄土への道を迷うことなくいっしょに歩んでいきましょう。
(文責 住職)