本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
今年は広島・長崎に原子爆弾が落とされ、多くの都市に焼夷弾が投下され、沖縄でおびただしい数の住民が殺され、満州に開拓団として行かされていたご門徒が、家族ごと集団自決されてから八十年の節目の年です。
記憶はどんどん薄らいでいきます。だからこそ体験者たちはいろいろな体験を後の者に語り継ぎ、様々な形で記録に残し、それらの活動を通じて「二度と戦争がおこらないように」と「二度と戦争をおこさないように」と努力をされてきました。
私たち浄土真宗本願寺派においても、ご門主が『法統継承に際しての消息』の中で「宗門の過去をふりかえりますと、あるいは時代の常識に疑問を抱かなかったことによる対応、あるいは宗門を存続させるための苦渋の選択としての対応など、ご法義に順っていないと思える対応もなされてきました。このような過去に学び、時代の常識を無批判に受け入れることがないよう、また苦渋の選択が必要になる社会が再び到来しないよう、注意深く見極めていく必要があります。」と示され、門主を引き継ぐにあたって過去に学び、その反省の上にたって行動する姿勢を明示されました。
私たちの教団は前の戦争の時に、戦争を止めるどころか、積極的に協力し、賛美し、正当化して多くのご門徒を戦地に向かわせました。なぜ親鸞聖人の教えに教団全体が背いてしまったのかを私たちは反省していきました。社会が戦争に向かって進んでいるとき、時代の常識を無批判に受け入れ、国の帝国主義、軍国主義体制に追従し、親鸞聖人の言葉を切り刻み、ここは読むな、ここは読み替えよ、空白にしろとしてまで天皇を中心にした政治のあり方に同調していった教団の在り方を支えた教学を、多くの戦争体験者の証言を真摯に受け止め反省しました。お念仏の生き方と世間の生き方を分けて理屈づける考えは、この80年で十分反省され、そして門主様は、真宗教団が現実の社会問題に念仏者として積極的にかかわっていくべきであると示されています。
今、世界中で新しい戦争が勃発し、争い憎しみあい、飢えに苦しむ人々が世界にあふれています。そのような現実社会を目の当たりにする中、私たち念仏者はこの社会とどのようにかかわって行けばよいのかを考えなければなりません。 親鸞聖人は「念仏者は社会とどのように関わればよいのか」について次のように答えています。「わが身の往生、一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべし」(仏の教えに出会って、みずからの身の救いが解決したと思う人は、仏のご恩に報いるためにお念仏を、心をこめて称え、「世の中が安らかで平穏であるように、仏法がひろまるように」と、お考えになるのがよいのです。)
私たち一人ひとりが念仏者として世のなかの安穏を深く願い、皆さんと一緒に平和のことを考えていかなければならない時だと思います。 (文責 住職)