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住職法語 2025-09

惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃
必至無量光明土 諸有衆生皆普化

もう夜は秋の虫たちが鳴き始めているのに、ちっとも涼しくなりません。地域によっては二学期が始まったところもあるようです。TVニュースによりますと最近の始業式は講堂に集まって校長先生の長い話を聞くことはせず、各々クーラーの効いた教室でリモートを使って短い訓話を聞くのがトレンドのようです。五十年ほど前、私が信楽先生の近くで話を聴くようになった頃、先生がよく“最近はみなバラバラの方向を向いて話を聴くようになった。これは家の中に仏壇がなくなってきたせいではないか。これじゃ信心はひらけんで・・”と、嘆かれていたのを思い出します。先日勝林寺で毎年恒例の子供会が開催されました。私の子供の頃から八月十九日は子ども会と決まっていたので、もう六十年も続いているのだと思います。そのころに比べると子供の数はずいぶん減りましたし、生活環境も年々変化していることに間違いはありませんが、やはり子供はいつの時代も子供だと思います。広い本堂の下陣を縦横無尽にあっち行ったりこっちに往ったり、寝転んだり隠れたり、、。それでも坊守さんから「みんな一緒に前を向いて正座して阿弥陀様へのご挨拶しましょう」と声をかけられると、ご院家さんの方をまっすぐ向いてお話を(少しの間)聴いてくれました。戸惑うことの多いこれからの社会を導いてもらえる仏様にまっすぐ皆一緒に向いて歩んで行ってくれそうな気がしました。

その子供会では今年もお焼香の仕方を勉強しました。各宗派によって微妙に違う作法を学ぶことで、“自分は浄土真宗本願寺派”なのだという自覚を持つための学習になるのだと思い続けています。中でも合掌・礼拝・焼香の仕方は子供たちにも教えやすい作法なので、子供会では毎年教えています。皆さんもYouTubeで「浄土真宗本願寺派 焼香の仕方」と検索するとたくさん出てきますので、見てまねしてみてください。ただ、中には説明が分かりにくかったり、やたら動きがぎくしゃくしたりして迷わされてしまうかもしれないので、やはりお寺にお参りして住職に教えてもらうのが一番いいと思います。そんな説明の中でも“焼香の意味”の説明は難しいものです。中には「自らの穢れを落とすため」「不浄の空気を清めるため」と書かれていることがあります。少しでも親鸞聖人の教えに触れた者であれば「穢れ」「不浄」という言葉に敏感にひっかかるのは当然だと思います。私たち浄土真宗をはじめ仏教はこの言葉によって人間社会の差別を助長温存し、女性を蔑み卑しめ、多くの命の尊厳を踏みにじってきました。仏様の世界が浄土(じょうど)であるのに対し、私たちの世界は穢土(えど)です。この差別の世界を悼み、阿弥陀様の願われた一切平等の清らかな世界を敬い、仏の誓いの世界(無量光明土)を尊んで香をお供えするのです。その思いは我が身を深く振り返り、凡夫の身を悲しむ思いでもあるのですが、その気持ちが、同じ穢土の中にあって、あるものを差別したり蔑んだり卑しめたりすることにつながらないよう、よくよく注意しなければならないことです。「不浄不垢(ふじょうふく)」「無有醜好(むうしゅうこう)」を願う仏さまを敬い、その本願を皆の心に普く届けていただいた阿弥陀様を尊びお焼香し、お念仏しましょう。 

(文責 住職)