道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
厳しい暑さの続いた夏がようやく終わり、みのりの季節がやってきました。昨年は本堂裏の畑がカボチャに覆われ、お正月までカボチャばかり食べていましたが、今年は遅まきに植えたサツマイモの苗が盆過ぎからはびこりだし、畑を一面覆っています。結構イモのツルが美味しくて、時々食べています。本当にお芋ができているのか心配ですが、米騒動の中でもお正月くらいまでは飢えずにすみそうです。そんな中、全国でクマの出没が報道されています。市街地に出没した場合には市町村の判断で猟銃を発砲できるという「緊急銃猟」に対して、岩手県が初めての訓練を釜石市で行ったそうです。クマの被害も怖いですが、クマ防衛をきっかけに日本の市街地に銃の響きが聞こえてくることを恐ろしく思います。
そんな話はさておき、今回正信偈に出てくる七高僧の第四祖、道綽禅師は五百六十二年に生まれ、六百四十五年まで八十三年間生きられました。この時代の中国もひどい時代だったようです。北周の武帝によって廃仏政策(三武一宗の法難)があり、仏教と道教を廃止し、寺院の財産を没収し、僧侶を還俗させて徴税・徴兵対象にされました。そんな社会状況と釈迦がなくなられてから千五百年がたち、仏法が廃れる時代に入るという教えが重なって、道綽は“末法の時代”ということを強く実感されました。道綽はもともと『涅槃経』に精通し、持戒禅定の道を修められたがゆえに、念仏宗の祖師にもかかわらず“禅師”と呼ばれていますが、四十八歳の時に玄中寺に詣で、そこにあった石碑の文言に曇鸞が念仏を修して浄土に生まれたと書かれていたのを見て心を打たれ、生涯玄中寺に留まって念仏往生の道を修められたのだそうです。仏道は大きく大乗と小乗に分かれます。そしてその大乗の仏道は聖道門と浄土門の二つがあります。聖道門は、修行者が自らの努力(戒・定・慧など)によって悟りを開こうとする教えです。宗派としては主に天台宗・真言宗・禅宗などが該当し、その生活は戒律を遵守し、禅定を修習し、智慧を獲得するなど、段階的な修行を通じて仏果を得ることを目指すものです。それはそれなりに素晴らしいものではあるのですが、末法思想とそれを裏付けるような社会の状況を目の当たりにする中で、道綽は聖道門では仏道の証を得ることは難しいと決した(道綽決聖道難証)のです。これに対し浄土門とは阿弥陀仏の本願を信じ、その力(他力)によって極楽浄土に往生し、そこで悟りを開くことを目指す仏教の教えです。すでに末法となった今の世界では、浄土門だけが悟りに至ることのできる唯一の道であることを明らかにされ(唯明浄土可通入)、朋に皆でお念仏することを勧められたのです。
親鸞聖人は道綽の生きた時代からまた五百年がたち、ますますお釈迦様の仏道を自らの力で歩むことは難しくなり、浄土門の道に進むことを示していただいた道綽に感謝されているのです。その親鸞の時代からまた八百五十年が過ぎた現在、末法はさらに極まっています。世界中で銃の音が響き、多くの命が毎日奪われている中、クマ防衛の名のもとに日本の市街に銃が持ち込まれ、日本の国でも銃の音に怯え生きなければならない日々が近づいているようで、ますます末法の世を実感します。朋に唯念仏の道を歩ませていただきましょう。
(文責 住職)
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