三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
一生造悪値弘誓 至安養界証妙果
何年か前にも同じようなことがあった気がします。秋の気配が急にやってきて、肌寒さを感じる季節の変わり目に、続けて四人のご門徒がお亡くなりになりました。自分より若い方はいなかったにしろ、だんだんと年齢が近づいてくるのを感じ、お通夜でご拝読させていただく「白骨の御文章」“一生すぎやすし”の言葉がより現実感をもって響いてきます。
葬儀の弔辞の中で「振り返りますと」はよく使われる語句です。故人との思い出や人生の歩みを回顧する場面で自然に導入されます。
(以下AIの受け売り、弔辞例)
《「振り返りますと、〇〇さんとの出会いは今から二十年前、私が初めて△△の仕事に就いた頃のことでした。右も左も分からない私に、〇〇さんはいつも穏やかな笑顔で声をかけてくださり、何度も励ましてくださいました。あのときの温かいまなざしは、今でも忘れることができません。」このように、「振り返りますと」の後には、・出会いの場面・印象的なエピソード・感謝の気持ち・故人の人柄や功績、などを織り交ぜると、聞く人の心に残る弔辞になります。もし、具体的な故人との関係や場面があれば、それに合わせた文案もご提案できます。よろしければ、もう少し背景を教えていただけますか?》 (以上AIが申しております
中国の孔子は、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。」と、説かれています。私はそんなに細かく区別せず三〇年ごとに人生を分けて考えています。初めの三〇年はいろいろ勉強して学びました。中の三〇年は学んだことを社会の中で実践していきました。後の三〇年には、学び実践したことを後の人に伝える努力をしていこうと考えています。そのようなことを考えているのですから、「一生造悪値弘誓」といわれるような信心には至りついていないのかもしれません。自分の一生は悪を造るばかりの人生だと言われても、犯した悪行の数々は思い起こされるものの、まだ自分への弔辞の中で、「振り返りますと」人柄や功績が讃えられる自分でありたい希望をもっているようです。
親鸞聖人は四二歳のとき、関東の上野国佐貫に滞在中、「衆生利益(しゅじょうりやく)」の思いから、三部経を千部読誦しようとされました。当時の東国は飢饉や洪水などで民衆が苦しんでおり、聖人はその現実を前にして決断されたようです。しかし、読誦を始めて四、五日後、自らを省みて中止されたのだそうです。このことが晩年に風邪をひいて寝込んだ時に、また夢の中に出てきて「自力の執心はなかなか抜け切らないものだ」と語っておられたことを、妻の恵信尼様が手紙に書き残されています。 近年社会不安がますます深刻化する中、一生造悪の凡夫と知りながら、自力作善と知りつつも、いてもたってもおられない気持ちに駆られ、三部経の千部読誦でも試みてみたい心持ちになっています。
(文責 住職)
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