七月 住職法語

本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦

 今年に入ってもう六ケ月、一年の半分が終わってしまいました。三とか六とか区切りになる数は、折り返し、変わり目が来るような気がします。朝犬と散歩するようになって、一日ではさほどわからないのですが、今日までは日の出が早くなり、夏至を頂点にしてまた少しずつ短くなっていく陽の光は、一年の折り返し点が来ていることを私に知らせてくれ、ボーっとしながらも新しい時代への心構えのようなものを迫っているようです。

 仏教の長い歴史の中で、インドでお釈迦様が説かれた仏教が、遠く言葉も違う異国の地へ入っていくところの転換点は、さぞ大きかっただろうと思います。親鸞さまは正信偈の中で、浄土の教えをインドから中国へ橋渡しされた曇鸞大師を“本師”と呼ばれ、自分にとってお釈迦様に並ぶ本物の導師として、ほかの七高僧とはまた特別に思われていたようです。この「本師」の尊称は親鸞聖人の面授の師である法然上人にも使われています。もちろん法然上人は親鸞さまにとって、浄土へと歩む道を直接導いていただいた先生ですから、“本師”そのものなのですが、多くの高僧様の中で、時を隔て遠い国の曇鸞大師を「本師」と呼ばれるには親鸞様なりの深い思いがあったのだと思います。

曇鸞大師はすぐれた学僧としてその名声は中国の北方はもとより、南方にも広く響きわたっていたのでした。大師は中国の人びとに仏教の大切な教えを正しく伝えなければならないという使命を強く感じられ、お経の註釈の作成に取りかかられていました。ところが、あまりにも厳しく精を出して研究に打ち込まれたためか、病にかかられ、註釈の仕事を中断せざるを得なくなられたのです。そこで、広大な仏法をきわめ、註釈を完成させるには、健康な心身と長寿を得なければならないと痛感され、まず神仙の術を学ぼうと決められ、長生不老の術を学ばれたのでした。やがて大師は、長生不老の術を説いてある道教の経典を授けてもらわれ、喜び勇んで家へ向かわれました。その途中、都の洛陽に立ち寄られた曇鸞大師は、三蔵法師の菩提流支にお会いになり、そして、誇らしげに、自分は長生不老の術を学んできたばかりであることを告げられたのです。すると、菩提流支三蔵は、地に唾を吐き捨てて「何という愚かなことだ」とばかりに、叱りつけたのです。そして、『観無量寿経』を授けて、阿弥陀仏と「無量寿」(長さに量りのないいのち)について教えたのでした。曇鸞大師は、この教えに触れられて、不老長寿などというものは、愚かな欲望に過ぎないことに気づかれ、「こんなものがあるから、人は愚かな迷いを繰り返すのだ」とばかりに、大切にしておられた仙経を焼き捨ててしまわれたのです。

 私たちの社会はいま大きな転換期を迎えています。医療・化学は益々進歩し、不老長寿を可能にする神仙の術を既に獲得しているようです。そんな今だからこそ本師曇鸞に学び、仙経を捨て、今の時代の中で念仏者として真実に生きる姿を社会に示していかなければならないのです。

(文責 住職)

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