十月 住職法語

道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶懃修 円満徳号勧専称

 秋のお彼岸を過ぎ、ようやく暑さが遠のいていったように感じます。今年は暑さがダラダラ長かったせいか、勝林寺境内の彼岸花は九月の終わりになった今ようやく咲き出しました。彼岸会法要の法話冒頭は“夏が暑かろうと寒かろうと、毎年彼岸花はお彼岸になるとちゃんと咲いてくれますネ”が定番でしたが、今年は咲き出さず、昨年は散ってしまっていました。

 勝林寺では毎年お彼岸には右余間(ご本尊に向かって左の余間)に「浄土真宗 二河白道図」という掛け軸を飾らせていただいています。お彼岸限定の特別展示ですので、ぜひまたお参りの際には見てみてください。この「二河白道」の図を眺めていると、自分の人生の姿を、ドローンのカメラで高いところから眺められているような感じがします。“あちらとこちら”“あの世とこの世”“彼岸と此岸”“浄土と穢土”“男と女”二つを分ける間には深くて暗い河があるのです。こちら側に立つ私はあちら側に何とか渡りたいと思うのですが、その大河は一方で関西空港連絡橋を破壊するほどの大波がたち、一方でアラブの油田のような猛火が立ち昇っている。とても小さな船を出して渡れるようなものではないと考え、多くは川上を目指し陸路を歩き遡って行くのです。とことん川上に歩いていけば、円山川も、生野の分水嶺まで歩いていけば小川となり、またいで渡れるというようなものです。聖道自力の仏道はこのような川の渡り方を教えます。しかし、迷い多く、欲深く、ノロマで力のない私たちには、到底そのような苦難の長旅はできないでしょうと、中国の道綽様は教えてくださったのです。それではどうして渡っていくのか。自分の力でエンヤコラと小さな船を出すのではなく、一人とぼとぼと遠い果てしない難行の道のりを上流に向かって旅していくのでもなく、横ざまに河を超え渡りきる道を選ぶことが私たちの唯一の道であること教えられたのです。横ざまに河を橋渡しする白い道は、猛火と激流の恐怖にさらされた細い小さな白い道として描かれています。その道を行者はお釈迦様に背中を押され、阿弥陀様の光に照らされ、招かれて涼しげにわたっていく姿が描かれています。この阿弥陀様によって用意された、私たちの力では渡ることのできない河を渡す道が“円満徳号”すなわち“南無阿弥陀仏”をただ専らに口に称える称名念仏の道なのです。第四祖の道綽禅師はお正信偈の中で、私たちに専らお念仏を称えることを勧めてくださいました。

 二河白道の譬えはこの道綽禅師の教えを引き継ぐ次の第五祖善導大師のものです。いろいろなお寺に、いろいろな「二河白道図」があります。それぞれ特徴があるものなので、比べて見てください。         

(文責 住職)

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