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七月住職法語

読み上げ

能発一念喜愛心  不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉廻入  如衆水入海一味

六月の初めの一週間、一年ぶりに豊岡で『おんぷの祭典』が開催されました。今年で第七回となるのですが、昨年はコロナのために中止でした。立ち上げからかかわっている私としては、今年はコロナ対策しながらも開催でき、みんなで事故なく楽しめ、多くの人に喜んでいただけて本当に良かったと胸をなでおろしております。そもそもこの『おんぷの祭典』というのは、サブタイトルが“子どもたちが豊岡で世界と出会う音楽祭”となっていて、世界で活躍する音楽家と触れ合う機会を通じて、子どもたちが豊岡にいながらにして世界とつながることができる、そんな豊岡のまちを誇りに思う子どもを育てることをテーマに、二〇一四年に市民の熱い思いで始動しました。昨年は、知らない人はいない偉大な作曲家ベートーヴェンの誕生二五〇年という年に当たり、ベートーヴェンの曲を中心に大々的に演出する企画を準備していたのですが、コロナの影響で中止せざるを得ませんでした。今年は感染対策も十分に行い、少し規模は落としながらも、《ことし“も”ベートーヴェン》ということで開催できました。  ベートーヴェンといえば「交響曲第五番・運命」の“じゃじゃじゃジャ~ン!!”のフレーズしか頭に浮かばない私なのですが、『おんぷの祭典』に関わる中でもう一つ知りました。小学校のころ歌わされた“晴れたる青空 ただよう雲よ 小鳥は歌えり 林に森に 心はほがらか よろこびみちて 見交わす われらの明るき笑顔”という「喜びの歌」は、ベートーヴェンの最後の交響曲、年末にあちらこちらで歌われている「第九」だったのです。「運命」と「第九」。音楽室に飾られている厳しい形相のベートーヴェンの人生は色々あったようで、人生最後の交響曲「第九交響曲」がつくられたころ、彼の両耳は聞こえなくなっていたのだそうです。悲しく、苦しく、つらい人生の中で、「喜びの歌」を最後の曲として残したベートーヴェンはやはり偉大です。

 洋の東西を問わず、宗教の違いを超えて、音楽ジャンルの枠など無視して、それどころか人類という枠さえ超えて、あらゆる命の営みの目指すところは「喜ぶ心」なのではないでしょうか。

 親鸞聖人もお正信偈のこの句の中でそのことを示しておられます。そしてお正信偈の終わったあとに唱える四句「願以此功徳、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国」は現代語で「ほとけのみ名を聞きひらき、こよなき信をめぐまれて、よろこぶこころ身に得れば、さとりかならずさだまらん」となっています。最近少し唱える機会が減ったように思いますが、五十年前の親鸞聖人大遠忌法要のころ、お経を現代語訳でもっとわかりやすく皆さんに広めていこうとする運動がありました。その一環で、私の母(前坊守)は婦人会などではいつも現代語訳でお勤めしていました。“よろこぶこころ身に得れば、さとりかならずさだまらん”。私もありがとうございましたと喜び、死んでいける人生を、幼少のころ変調な母の声に刷り込まれているように思います。(文責 住職)