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住職法語 2023-12

仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり大応供を帰命せよ

今年も早十二月、年が暮れていく月になりました。年々一年が過ぎるのが早くなっていくように感じるのですが、逆に今年にあった、例えば父母の法事、親鸞聖人の慶讃法要などがずいぶんと昔のことのように感じます。加齢とはこうゆうものなのでしょうか。

先日の勝林寺の報恩講は、四年ぶりに組内法中に出勤いただき、二日目にはお斎(おとき)の接待もできました。その後、毎日各地区でご家庭の報恩講に走り回り、忘年会の予定も順調に入りだし、コロナ前の師走が帰ってきたようで喜んでいます。

各ご家庭のお仏壇にお参りしながら、時代の変化とともに生活の様も変わっていることを感じます。お仏壇を照らす光もすっかりLEDに代わり、お灯明も炎のない安全な光に代わりつつあります。そういえば先日、ご門徒宅の法事の後お墓に参り、お線香をお供えするのに小学生のお子さんがマッチを使って火をつけようとしたのですが、擦り方がわからず何本もマッチを折ってしまい、おばあちゃんが見かねてシュッとつけられたら、不機嫌になって先に家に帰ってしまいました。最近この田舎でも、焚火も野焼きもできなくなって、いつのころからか“炎”にであう機会が少なくなくなったように感じます。 私の子供の頃は、電気は既にあったにしろ、お風呂は薪をくべて焚いていましたし、小学校の間は石炭の達磨ストーブで、着火用の“オドロ”をもって行き、みんなが来るまでにストーブを焚いておくストーブ当番というのがあり大変でした。中学校は灯油のストーブで便利になったと思いましたが、何故か高校はガスストーブでした。電気エアコンの方がもっと便利で安全なので、今の家庭はオール電化が流行っています。しかし、この便利な電気を作るために石油や石炭を無茶苦茶に燃やしすぎたことが、今大変な問題になっています。熱も光も元を返せば太陽のエネルギーがまわりまわってきたものです。太陽の光を浴びて育った木を薪にして、焚火の炎から光と熱を恵まれる心地よさを体感することは、今の子供たちにもとても大切で、必要な経験ではないかと思っています。 しかし、この“炎”は心地よいばかりではなく、家を焼き、街を焼き、世界を焼き尽くす激しさも持ち、危険で恐ろしいものでもあります。合わせて私たちはその力の偉大さと恐ろしさに畏敬の念を抱くことを思い出さなければならないと思うのです。仏教もキリスト教もまだないその昔、ゾロアスター教というものがあり、それは火を尊ぶ宗教だったようです。阿弥陀様が「光炎王仏」となづけられているところなど、何か関係するのかもしれないと思っています。三途の暗黒の闇を照らす知恵の光を持つ“炎”は、力強く、暖かく、智慧と慈悲に満ち満ちた、私たちにかけがえのない存在なのです。 これから冬が深まり寒さが厳しくなっていく中、落ち葉をはいて焚火に火をつけて焼き芋をしたいのですが、今は社会が許しません。十二月三十一日の除夜会にはかがり火をたいてこの年を送ります。みなさん“炎”の光と熱を感じながら除夜の鐘をつきに来てください。

(文責 住職)