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四月住職法語

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本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人
真宗教証興片州 選択本願弘悪世

本山の親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要に、出石組として三月三十日に団体参拝させていただきます。(原稿を書いている時点ではまだ行っていませんが。)最近までコロナ感染の渦中、時々刻々状況が変わっていく中で出石組十八ケ寺をまとめ、ご本山にお参りさせていただくための企画調整は、さぞ大変だっただろうと思います。そんな中で法要に参加させていただけることを有り難く感じます。

今回の法要は親鸞聖人のご誕生と、私たちの浄土真宗が開かれた「立教開宗」の記念法要になるわけですが、真宗十派(真宗教団連合)では、〈親鸞聖人が『教行信証』を制作されたことをもって立教開宗とし、草稿本が一二二四(元仁元)年四月一五日に完成したとされることから、毎年四月十五日を「真宗立教開宗記念日」と定めている〉ということです。ただ〈親鸞自身は「浄土真宗」「真宗」を宗旨名としてではなく、師である法然上人によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え、阿弥陀仏の本願による念仏往生の教えを指して用いたが、親鸞の没後、門弟たちによって宗旨名としても用いられ、やがて教団として発展していった〉ということのようです。

その『教行信証』総序には「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」(ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。)と示されています。この短い人生の中でたまたま念仏に出会うことのできた強縁・宿縁を深く慶ばなければなければなりません。それはWBC決勝戦9回表の大谷投手の登板のようなものかもしれません。チャンスはたまたまであるけれど、必然に回ってきます。それをしっかりと受けて、逃さずに慶ばせていただきたいものです。

私の携わった大きな法要としては二〇〇〇年の“蓮如上人五00回遠忌”(その時私が勝林寺の住職を継職しました)と二〇一一年の“親鸞聖人七五〇回大遠忌”が記憶に新しいところです。そして今年が“親鸞聖人御誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年慶讃法要”(前回は一九七三年頃?オイルショックのころです。)次に来る大きな法要は二〇五〇年“蓮如上人五五〇回遠忌”になりそうですが、そのころ私は九二歳です。

遠いインドでお釈迦様が説かれた教えの中で、もっとも真実の教えが、世界の地の果て、世界の片隅(片州)の日本の親鸞にたまたまたどり着いたのです。それは本当の師である法然上人にであえたから、お念仏にであい阿弥陀様にであって、私が必ず成仏できる本願にであえたのです。今、私たちの身の回りには、楽しそうなイベントがまん延し溢れています。そんな中、数少ない仏縁を逃さず選び取って、よろこぶ心を身に得ていきましょう。  (文責 住職)