智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ
朝の散歩でクマさんに出会いました。お城山に登る登城橋の先をトコトコと歩いていて、振り向いて愛犬カールにごあいさつして山に帰っていきました。実は朝の熊遭遇は2回目で、前は茂みから突然出てきて、もし犬がいなかったらやられるところでした。
暗がりや茂みは怖いものです。何が潜んでいるのかわからない不安と恐怖があります。私はこんな場面に出会ったときには夏休みの宿題で読まされた中島敦の『山月記』で〈茂みから虎が飛び出す〉場面をいつも思い浮かべます。日常生活の中でも「疑心暗鬼」の状態になるととても嫌で悲しくなります。疑いの心があると、存在しないものまで恐ろしく感じて、実際にはないはずの悪いことまで見えてしまいます。国の策略かも知れないと思っているのですが、昨年あたりから続いて発生した熊被害の報道で、日本人の熊への恐怖心、自然への警戒心が急速にアップしたようです。それに並行して社会では特殊サギが横行し、スマホに潜む邪悪な悪鬼が若者から高齢者までを食い物にしようとしています。そして、世界中で勃発する戦争は、日本の空にもミサイルが飛んできてもおかしくないように思わせ、恐怖心と敵対心が日に日にまして、国民一人一人が防衛力を高めることを必要と考えるようになってきたようです。クマとスマホとミサイル。それぞれ関係ないようなことですが、それらは共通して暗闇にひそむ鬼を人の心に生み出し、この疑心暗鬼が私たちの心を不安定にし、未来への想像力を悪い方向へ暴走させていくようです。
明るい未来に向けて個人も社会も、現実の状況の中で様々な問題に取り組み、安心安全な社会を築くために努力しなければなりません。しかし、まずその前に私たちは、今ここに生きる命の尊さ感じ、すべての命を等しく救おうとする仏様の願いを知り、限りない命を得た喜びの中で、今の命が尽きるまで懸命に生きていかなければならないと思うのです。
“智慧の光明”の光は、暗闇の茂みに潜むクマを探し当てる懐中電灯の光ではありません。迷いの世界に生きる私たちを、分け隔てなく照らすアカリです。クマも私も同じ尊い命として、因縁の中で共に生きる命であることを明らかにするアカリです。“智慧の光明”の智慧は、誰よりも早くいい席でいい景色を見るための情報を利用する猿知恵ではありません。多くの命の絡み合い、不思議に生まれる命の因縁を直観する仏の智慧です。今朝も庭の土の中から這い出してきたセミのさなぎが羽化する不思議さを見ました。“有量の諸相”とは、この地球すべての現実です。決して無量ではない。特に今世界は石油資源が有量の物として枯渇しそうになっていることを知り始めています。あらゆる生活が石油に依存して成り立っている社会で、残り少なくなった石油を奪い合い、取り合っても、必ず量に限りあるものは、なくなっていくのです。私たちの命も限りある、有量の命です。そのことを明らかに照らす愛のアカリが念仏です。一時も早く、奪い合い、憎しみあい、食い尽くす餓鬼の世界から抜け出し、無量の寿(いのち)に集う、浄土の世界に暮らしましょう。
(文責 住職)
X
Facebook
LINE
WhatsApp
Pinterest