ホーム » 住職法語 » 七月住職法語

七月住職法語

読み上げ

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり

社会がますます高齢化していく中、寝たきりと認知症の“予防”が大切になっています。坊守はすでに高齢者の仲間入りを果たし、私もあと2ヶ月ほどで高齢者となります。寝たきりの予防はなんといっても転倒防止。足腰を鍛えておくことが大切だそうです。私たちは、毎日犬とお城山を散歩して鍛えています。認知症の予防には“デュアルタスク”がいいといわれています。デュアルタスクとは、一度に二つ以上のことを同時に行うことで、例えば、テレビを観ながら料理を作る、電話をしながらメモを取る、歩きながら話をする、歌を歌いながら洗濯物を畳むなどです。以前、私たちがお手伝いをした「脳イキイキ教室」では、町の皆さんと一緒にこの動きを体操に取り入れていました。最近一人でも毎日できる新たな“デュアルタスクプログラム”を見つけました。お仏壇の前で、お正信偈を唱えながら、阿弥陀様の後ろの光の数を一本ずつ数えていくのです。かなり脳がイキイキと活性化して、認知症の予防になりそうな気がします。

私たちはいつも阿弥陀様を見慣れているので、あのトゲトゲの四十八本の光があたり前になっていますが、ほかのお寺の仏様を見ると、いろいろな形の光背(こうはい)があることに気付きます。仏教の仏様だけでなく、キリスト教や、イスラム教、その他もろもろ何かにつけてえらいものの後ろには、光がさしています。そんな中でも私たちの阿弥陀様は“きわ”もなく、この世の暗闇を照らしている、まさに不可思議な光の仏様なのです。

浄土真宗のお仏壇では、もちろんご本尊を阿弥陀如来として中央におまつりしていますが、本願寺派と大谷派では、同じ四十八本の後光でも、上部の光の数が異なっています。私たちの本願寺派では八本。東本願寺の大谷派では六本となっているようです。仏像の場合は頭光として四十八本の光が広がっているため問題ないのですが、掛け軸を御本尊にする場合には、私たち西本願寺の場合、上部の後光の数が八本の阿弥陀如来の掛け軸を選ばなければなりません。ただ確認のために数えてみるのではなく、お正信偈を読みながら毎日数えてみてください。認知症の予防になります。 この阿弥陀様の不可思議な光はあらゆる衆生を常に照らします。その光に照らされることにより影が生まれます。強く照らされれば照らされるほど、強く濃く影が生まれます。闇は本来そのものとしてあるのではなく、光があるから闇に気付かされるのです。一般的には光と影、光と闇は別のものとして分け、対立するものとして考えます。同じように智慧と無知、善と悪、煩悩と悟り、仏と衆生、二つのものを対立して考え、分離、整理して扱おうとするのが単純な一般的二元論の合理的思考方法です。しかし、仏教の教えはそうではない。すべてのものを一つにおさめ取る働きから生まれる思考です。闇と光 氷と水 煩悩と悟り 仏と衆生 光と影が対立しながら、一つにおさめられる考えです。光があるから影が生まれる。闇があるから光が生まれる。煩悩具足の悪人があるから大悲の阿弥陀仏がある。だから「私の煩悩と仏のさとりは 本来ひとつ」なのです。

(文責 住職)