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十月住職法語

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光雲無碍如虚空  一切の有碍にさはりなし
光沢かぶらぬものぞなき  難思議を帰命せよ

秋のお彼岸を境に、季節が一気に夏から秋に代わり、空がぐっと高くなったように感じます。空を高く感じるのは気のせいではなく、秋の雲はすじ雲など上層雲と呼ばれる地上から約五~十三㎞の高さに現われる雲が多く、地表から高度二千㍍の範囲内にある夏の入道雲(積乱雲)よりも、ずいぶんと高いところに浮かんでいるからなのだそうです。

色々な雲を見ながら散歩するのは楽しいものです。本当にいろいろな種類の雲があって、最近はインターネットのお天気予報で、上空の雲の様子が見られたりするものですから、それと合わせて気象予報をしたりしています。ここ一ヶ月の間、次の寺報は“光雲無碍如虚空”のご和讃だなと思いながら、毎日“光雲”ってどんな雲なのだろうかと気になっていました。この前もとても素敵な朝焼けに会いました。西の空から東の空へ紅色の薄明るい雲が徐々に輝きを増しながら広がり、空全体が真っ赤に染まり、今にもご来迎がありそうな雰囲気でしたが、今回はもう少しのところでしぼんでしまいました。

『光雲無碍如虚空』とは、曇鸞大師のお言葉です。曇鸞大師(476-542)は南北朝時代の方で、山西省五台山に近い雁門にお生まれになりました。この七字は曇鸞大師の作られた『讃阿弥陀仏偈』の語をそのままあげられたもので、“ 光雲とは、「光」は如来の光明、「雲」とは雲のように潤いを与えるものということで、光明の恵みを表している。 無碍とは、碍りなし、障碍がない、妨げが無いということで、 虚空とは空のこと、広々として障りがないことである。”とか、いろいろ解説されてきているのですが、ひょっとして親鸞聖人もこの“光雲”ってどんな雲なのだか本当にはわからなかったのではないかと思ったりします。今でこそNHKの4kテレビでオーロラの輝きも見て知っていますが、本物は日本では見られません。またまれに“夜光雲”というのもあるようで、地球の大気の層の一つで、高度五十㎞から約八十㎞の中間圏 にできる特殊な雲で、日の出前や日没後に観測される気象現象だそうです。そんな地球上で最も高い高度に発生する雲と言われるというものがあったり、中国の広大な土地の中では、日本の国では見られないような紅でも紫でもない超自然的な人間を圧倒する光り輝く雲を、曇鸞大師は本当に見ていたのではないでしょうか。

人が自分の生きる一生の間で出会えるものは限られています。絵や、画像で見ることで経験することもありますが、やはり本当にそのものに出会うこととは少し違うのだと思います。曇鸞大師が出会った、何物にも妨げられることなく輝く、虚空のような光の雲は中国の五台山あたりに行けば本当に見られるかもしれません。それは“光る雲”なのか“光の雲”なのか“光と雲”なのか分かりませんが、阿弥陀様の絶対的な救いを感じさせるようなそんな不思議な「雲」を生きているうちに一度は見てみたいと思います。

それとは反対に、「きのこ雲」だけは絶対に出会いたくないと思うのです。

(文責 住職)